- はじめに
- デビル・ビリーバー編の大筋
- アスタへの歪んだ憧れ
- ダズーの受けた屈辱
- アスタがヒーローたる理由とユノの存在
- 彼女達の選択
- その結末
- おわりに
- 追記(3/31)…スペード王国編と最終回を踏まえて
はじめに
いきなり性癖を語り出すけどもね、私はヒーローが大好きだからこそ、そのヒーローの信念を揺るがすような敵が現れる展開とか、大好きなんですね。
あと、「敵とヒーローに共通点がある」とか「境遇が似ている」っていうのも好きなんですよ。何かが違っていたら立場が逆だったかもしれない、鏡写し、とでもいうのか。
そんなのが「アニメでしか見られないオリジナルストーリー!」でお出しされたりした日には、もう最高だね。
さて、アニメ『ブラッククローバー』は、初代魔法帝の伝説が語られるアバンタイトルから毎回始まっていた。
後にそれは、現代に生きる主人公・アスタの活躍と信念を語るものへ変わる。
クローバー王国。魔法が全てのこの国で、唯一魔法が使えない少年がいた。その名はアスタ。
努力と根性で魔法騎士団に入団し、傷だらけになりながらも決してあきらめることなく、懸命に高みを目指して進み続ける!
たとえ下民でも、たとえ貧しくても、誰もがこの世界で輝けると証明するために!魔法帝になるために!
しかし、142〜148話の「デビル・ビリーバー」編(とこのブログでは呼びます)ではこうだ。
クローバー王国。魔法が全てのこの国で、唯一魔法が使えない少年・アスタ。彼は魔法帝になるために、血のにじむような努力を続けていた。
だが、魔法が全く使えないわけではないにせよ、脆弱な魔力しか持っておらず、魔法がほとんど使えない者も、この国には存在する。
全人口のほんのわずかな者達。日陰に生きる者達……。
その者達も皆、日々を生き抜いていた…………
そして描かれる、どこかの暗い路地で傷つきながら歩く青年の姿。彼の瞳には悔しさが宿っている……。
このアニメオリジナルストーリーは、アスタのような「迫害を乗り越えるヒーロー」とそれを応援する私達に、「迫害を乗り越えられない者の心の闇の深さ」を、容赦なく突きつけてくるものであった。
デビル・ビリーバー編の大筋
本エピソードの中心にいるオリジナルキャラクターは、「魔法がほとんど使えない」二人の女性、ダズー・タヤクとボゥ・ノクデ。
「役立たず」と「でくの棒」のアナグラムである。もう、名前からして幸が薄そう。
エルフの襲撃で夫と義母を喪ったダズーと、同じチュリューの町に住むボゥ。悪魔の力を持つアスタを即刻処刑すべきと考えるカブエと協力し、アスタを狙ってくる……当初はそういう話かと思われた。
しかし、カブエは利用されていたに過ぎず、彼女達の真の目的は「スペード王国の悪魔から力を授かり、自分達を迫害したこの国に復讐すること」だった。
我々は悪魔をあがめる者、「デビル・ビリーバー」だと。
アスタへの歪んだ憧れ
ダズーは語る。魔法をろくに使えないだけで、「気持ち悪い」と陰で蔑まれていた思い出。そして、悪魔の力を得れば、自分もアスタのように強くなれるかもしれないという希望を。
その後、デビル・ビリーバーは他にも魔力の乏しい人々をたくさん引き連れ、共にスペード王国を目指そうとする。
心配する母を突き飛ばしてまで彼らについていこうとする、不自由な足が悪魔の力で治ると信じる少年もいた。
「今や、魔力がないのに悪魔の力のおかげで魔法騎士団に入ったヤツだっているんだぞ!」
アスタがデビル・ビリーバーと同行者達に追いついた時、彼らは迎撃するかと思いきや、「アスタ様」と呼んでひざまずく。こうべを垂れる者まで……。
主人公が、止めようとしているテロリストの賛同者達から信仰される、あまりに異様な光景。
ダズー「魔力が全くなく、魔法が使えないあなたは、この魔導書のおかげで悪魔の力を得た」
ボゥ「魔法騎士団に入り、そして活躍まで……あなたは私達の憧れよ」
アスタ「憧れって……オレは、そんな!」
ダズー「私達もあなたになりたい……」
「スペード王国に行き…」「悪魔の力を得て、生まれ変わる」「そして、この国に復讐する!」
ダズー「それが私達の願い……!」
なんということだろうか……。
漫画やアニメを通して、「アスタみたいになりたい!」と感じる子供はきっといるだろう。
いい年した大人の私もちょっとなりたい。反魔法の剣、かっこいいもん。ブラックメテオライトって叫びたいもん。そういうことじゃないが。
「迫害されていた者が活躍し、周囲に認められ、ヒーローになる」タイプの主人公キャラクターは、決して珍しくはない印象がある(例えば、私は同じジャンプ漫画のナルトや『ヒロアカ』の出久が思い浮かぶ)。彼らの姿に勇気をもらう読者・視聴者は少なくないだろう。私もその一人だ。
しかし、このエピソードで描かれるのは、その活躍を誤った形で受け取り、力を求めて加害者に転じた、同じ迫害の被害者の暴走。
「原作にはないオリジナルストーリー」としては、かなりえげつない部分に切りこんできたなとうならされた。そういうの……達子ゎ好きだよ!
ダズーの受けた屈辱
「実の親から蔑まれ、学校では笑われ、教師にも馬鹿にされ、友達はできず、町の人からは白い目で見られてる。アスタ!あなたならわかるでしょ!?」
「…………ああ……!」
「だから私は人の何倍も努力した!それなのに、魔法がろくに使えないというだけで馬鹿にされ、蔑まれる……」
「でも、そんなあんたを旦那さんは認めてくれたんだろ!?」
「認めてくれた……?」
「チュリューの町のマギーばあちゃんが、いい嫁さんが来てくれて、姑さんが喜んでるって言ってたぞ!それは、姑さんも旦那さんも、あんたの努力を認めてくれたからじゃないのか!?ろくに魔法が使えなくたって、幸せな……」
「幸せなんてなかった!私にはわかっていた……でも、もしかしたら本当に……、ううん、結局は同じ。
あの人達との日々は……地獄だったわ。
優しい笑顔を浮かべ、料理がおいしいとほめてくれ、よく働くとねぎらってくれた」
「それじゃあ!」
「町の人達も、彼らのことを『優しく慈悲深い人達』なんて、思っていたんじゃないかしら。
だけど馬鹿にしていた。私を蔑んでいた!
あいつらは私を認めていたんじゃない、ただ利用していただけよ!私を見下して楽しんで、自分達が一番下の存在ではないと安心していた!
屑だわ!!あんな奴ら、死んで当然よ!!!」
おばあさんが話した彼女の境遇には、暴力も嫌がらせも、苛烈な村八分もなかった。むしろ今は幸福とすら思われていた。しかし、そういう形だけが迫害ではないのだろう。
実際、一家の食事風景はうわべこそ穏やかだが、ナイフとフォークを手に持つダズーの前で、夫と義母はわざわざ魔法で動かしている異様なものだった。まるで、魔力の差を見せつけているような……。
義母「あなた、料理は得意だからね」
夫「まったくだ」
その上、失敗するのを見て面白がるために(ダズーの談だが)魔法を使わせ、彼女はやけどを負ってしまった。
第1話でサラッと語られたが、この国では魔法が使えなければ働き口もないのだという。そりゃあ、どんなに苦痛でも夫に養われる生活を続けるしかなかったのも、無理はない……。
ボゥと同様、ひたすら自分で試して薬剤師としてやっていくのは、並大抵な覚悟と知識・経験ではできないし。
けれど、ダズーの心の中に「でも、もしかしたら本当に」……夫と義母は自分を認めてくれているのでは?という期待が、まだ残っていたのも別れなかった理由かもしれない。
人間の本性が出ると言われる生命の危機に陥った夫から、「この役立たず」と罵られるまでは……。
賛同者達からも、「自分もそうだった」「(魔力の少ない者は)みんなそうだ」「魔法が使えないだけで…」「もうたくさんだ」「こんな国、出ていくんだ」と次々に声が上がる。
アスタはダズー達の受けてきた苦痛を理解するが、復讐の願いには「オレは違う!」と叫ぶ。
アスタ「努力しても努力しても、魔法が使えないから馬鹿にされ、蔑まれて生きてきた……。だけど、そいつらを恨んだりしなかった!
そりゃ魔導書と、お前達が言う悪魔の力を得たけど……!オレはその力を、この国への復讐のために使おうと考えたことは一度だってない!
この国を守るために!どれだけ貧しくても、捨て子でも、下民でも、誰もが幸せになれるようにって!」
ダズー「私達もそういう風に考えることができたら、どれだけよかったかしらね……」
ボゥ「そうね」
ダズー「心に燃えさかる復讐の炎は、消すことができない」
もはや、両者は完全に平行線になってしまった……
それでも私は、ハッピーエンドになるのだろうと思っていた。
ダズー達はアスタと和解し、この国に明るい未来がやって来ることを信じて、償いながら生きていく……そんな結末なのだろうと。
だって、アスタなのだ。
相対したエルフを500年越しの人間への憎悪から解放し、尊敬する魔法帝ユリウスを殺害した(まあショタ化して生きてたけど)パトリにも真正面からぶつかって奮い立たせ、救ってきた。
きっと、ダズー達だって救えるに決まっている。そんな風に思っていた。
……だが、実際の結末はバッドエンドとも受け取れるものであった。
アスタがヒーローたる理由とユノの存在
↑この記事とは関係ないけどサムネのマグナ先輩かっこいいな…
デビル・ビリーバー達は、現れた巨大な魔獣から、敵対しているはずの魔法騎士団に助けられる。呆気に取られるダズーに向かってくるアスタ。
ダズーは奪った魔導書を取り返されると思ったが、降ってきた岩からかばうためだった。しかも、剣が使えないので頭突きで。
仮にも魔導書と仲間を奪い、自分も悪魔に引き渡そうとした相手のために血を流し、「大丈夫か!?」と聞く。
彼女達は大きな思い違いをしていた。アスタが悪魔の力で、強大な敵と戦ってきたのは事実だ。しかし、彼の強さの根底を支えているのは、「そういう風に考えること」ができる力。それ以前から持っていた精神力のはずだ。
迫害を受けて育ちながら、誰かを守り助けるために力を振るい、敵にすら優しさを向ける、純粋な心。
……だからこそ、迫害を乗り越えるヒーローとなったアスタと、乗り越えられず殺人にまで手を染めたデビル・ビリーバーの溝は、最後まで埋まらなかったのかもしれない。
そして、もう一つのアスタを強くしてくれたものは、努力を認めてくれた仲間達だ。ダズーに「姑さんと旦那さんは認めてくれていたんじゃないのか」と聞いたのは、それが自分にとっての最大の救いだったからだ。
仲間達の中でも特に大きな存在は、やはりユノだろう。
「デビル・ビリーバー」編では出番が少ないユノだが、それでもアスタの魔導書が奪われた直後、重要な役目を果たした。
「魔導書がなくても、お前には使える魔法があるんだろ」
「ああ……!諦めないのが、オレの魔法だ!」
第1話で盗賊のレブチから「魔力が一切無い」と告げられた時、アスタも心が折れかけたが、「友達の天才くんもお前を馬鹿にしてる」「生まれながらの負け犬」と罵倒するレブチを否定したのが彼だった。
「…オイ 誰が負け犬だ…! そいつは――…
アスタはオレのライバルだ」
いつまでも魔法が使えない自分とは対照的に、破格の天才となっていたユノ。そのユノこそが、懸命な努力と諦めない強さをずっと認めてくれていた。
それを受けて再び立ち上がろうとするアスタのもとに魔導書が現れ、「諦めないのがオレの魔法だ!」とレブチを倒し、二人が改めて約束をかわしたところから『ブラッククローバー』の物語は始まるのだ。
思えばエルフ達も、初代魔法帝ルミエルと妹のテティアに出会い関わったことで、「人間の中にも自分達とわかり合える者がいる」とすでに知っていた。
悪魔の暗躍により、人間への感情は強い憎悪と復讐心になってしまったが、戦いの果てにアスタ達の心が通じたエルフもいたのは、兄妹の存在があったからとも言えるのかもしれない。
彼らを率いていたパトリですら、「唯一の人間の友」ヴァンジャンスとはわかり合えていた。
ユリウスに認められたヴァンジャンスとヤミ、そのヤミに認められた「黒の暴牛」の仲間達も、同じことが言える……。
だがダズーの前には、自分と違って人並み以上の魔力の持ち主であっても、理解し認めてくれる者は現れなかった。夫と義母がそういう存在になってくれなかった……。
きっとボゥも、他の三人のデビル・ビリーバーもそうなのだろう。
ダズーとボゥは、同じ苦しみを知る者同士だからこそ、深い絆を結ぶことができた。だが、もし片方の魔力が高くても、二人の絆が変わらなかったら……?
「大丈夫か?なんて心配そうな顔をして、心の中では笑っている……」
「みんなそうよ。誰もが同じ」
「あなたは違うわ!」
「あなたもね」
魔力が高い相手のことも、「自分を蔑んできた奴らとは違う」と信じることができていたら、運命は違っていたのではないのだろうか……。
人と人との縁は、生まれ持った境遇や条件より、どうにもならないものに感じてしまう自分がいるのだ。
彼女達の選択
国外追放となったデビル・ビリーバーは、恐らく死の危険まではない場所へ続いていたであろう空間魔法を拒絶し、強魔地帯へ向かっていく。
たくさんの賛同者を引き連れても無理だと言われた過酷な旅を、たった五人で……その後ろ姿を、アスタも仲間達も見送るしかない。
見送るしかないが、アスタはダズーの背中に呼びかける。
「オレ、いつか魔法帝になります!オレが魔法帝になって作りたいのは、この国で暮らすみんなが、お互いに認め合い笑い合える、自由な国です!約束します!だから……!
どこにいても、遠くからでも、オレ達をずっと、見張っていてください……!」
「…………私も、あなたのようになれたらよかったわね…………」
「なりたい」ではなく、「なれたらよかった」。
自分が悪魔の力を手に入れたところで、「アスタ」にはなれない。それを理解してなお、彼女は後戻りしなかった。
アスタ達は十分説得を試みたし、ダムナティオも部下を殺された立場でありながら命を見逃した。やれるだけやったと思う。
特に団長達の「魔法が使えなくても居場所があるように、必ずこの国を変えてみせる」という約束は、同行しようとした賛同者達の心を大きく動かした。
ただ、デビル・ビリーバーの心に復讐の炎が生まれる前には、間に合わなかったのだ。あの人々には、間に合ったのが幸いだが……。
その復讐も、今のアニメ版ではスペード王国の悪魔の詳細が描かれていないが、何も取り入る物がなくなった彼女達に「力をください」と言われて快諾するとは(この先の原作をまだ読んでいない私には)思えない。
たどりつく者がいたとして、実現するかどうか怪しいと感じてしまう。
そして彼女達の境遇がどうであれ、子供に危害を加え、だまして協力させた相手を三人も殺したことを考えれば、野垂れ死んだとしても当然の報いではないか?と言われればその通りであろう。
一方で、本当に彼女達は報われなかったのか?と感じる人がいても、決しておかしくない。
可能性がなくとも、それでも私は……と話すダズーの手を、ボゥは優しく取り、仲間が「行きましょう」と励ます。これもまた、誰にでも使える「諦めない」という魔法の形かもしれない。
もう、独りではない。屈辱的な日々に戻ることもなく、同じ痛みを共有できる仲間達と、最後まで自らの意志で生きた。デビル・ビリーバーにとっては、それが幸福であり、救いとも考えられる。
……しかし、それでも私は復讐に命を捧げるより、アスタ達が約束を果たすのを生きて見届けられる選択をしてほしかったと思っている。
その結末
後日談の149話は、ルミエルが魔力の乏しい人々を救いたいと願っていた500年前から問題は解消されていないが、彼の志を受け継ぐ者は現代におり、未来はきっと変えていけるという希望を描く内容だった。
アバンタイトルの青年が第二のデビル・ビリーバーになってしまうのか、それとも希望を持つことができるのかは、これからの魔法騎士団にかかっているということだ。
では、過去は?
「過去は変えられないが未来は変えられる」とはわかっていても、心は過去に向いてしまう。
デビル・ビリーバーの心に、全く届かなかったわけではないと思いたい。
いや、ちゃんと届いたからこそ、構成員はネロに誘拐したことを謝罪し、「いつまでも変わらなければ、別の自分達が何度でも現れるだろう」と警告を残したのだ。
そしてダズーも、穏便に魔導書を返すことで、アスタに受けた恩を返した……。
しかし、アスタや団長達の約束を聞いてなお、最後にダズーの胸に去来したのはクローバー王国の未来への想いではなく、復讐の炎が燃え上がった瞬間……自分を罵った夫と義母を見殺しにした、過去の記憶だった。
あの二人を見殺しにしたことを、後悔はしていない。あんな奴ら、死んで当然だから。
あいつに負わされたやけどの痕は、時が経てば薄れるだろう。
でも、ずっと屈辱に堪えたこの心の傷は、決して消えることはない。
何より、あいつらが死んでも、この心に燃える復讐の炎は消えはしない。
私は……私達は……なんとしてでもスペード王国にたどりつく。
悪魔の力を得るために……………………
変えられない心もある。
「デビル・ビリーバー」編の結末はそこに関してかなりシビアで苦いものであり、決して覆らなかった。
おわりに
「差別をしてはいけない」のは大前提だが、ただそれだけではなく、自分は絶対的に被害者だと信じる視聴者(いや、まあ、私なんですけど)や、何か大きな物が手に入れば救われると思っている視聴者(いや、まあ、それも私なんですけど)の心もえぐるストーリーだった。
ヒーローになるのに、見た目も性別も年齢も境遇も関係ない。悪人だって改心できれば、ヒーロー側になれるかもしれない。
だが、元は被害者であれ、歪んだままの心の持ち主に待ち受けるのは……。
これから、このエピソードを思い出すたびに、それを見て書いた記事のタイトルも思い出し、自分に問いかけずにはいられないのだろう。
「今、どっちだ?」ということを。
……なに?チャーミーの「ヒツジのコックさん料理長」なら、アスタ以外は魔力を増やせるんじゃなかったのかって?
いやー、なんの話かわからないですねぇ……
追記(3/31)…スペード王国編と最終回を踏まえて
3月30日、アニメは放送終了を迎えた。最終回については改めて別の記事に書きたいと思っているのだけれど、ここではデビル・ビリーバー編に関わる話だけしておきたい。
この少し後に原作の「スペード王国編」がアニメ化されたが、デビル・ビリーバーの目指していたスペード王国の方が、魔力の少ない者は人間扱いすらされていないような環境だと明らかになる。その上、悪魔の力を分け与えられた者でも平然と捨て駒にされた。
彼女達は知らなかったのだろうが、なんという皮肉だ……あのままたどりつけたとしても、安息などなかったのだ。賛同した人々がついていくのを止めて本当に良かった……。
そして、あれから彼女達がどうなったのかは一切触れられないし、誰かが口にすることもない。仕方のないことだ。長期放送アニメにおけるオリジナルキャラクターは、例外もあるが大抵は原作エピソードのアニメ化に戻れば、作品の世界からはいなくなったように扱われるのが常なのだから。そんな風に割り切るしかなかった。
最終回を見るまでは。
リーベとの戦いの中で、アスタは語る。ユノ、黒の暴牛、仲間達との絆。そして、たくさんの出会いと戦いが自分を強くしたと。
戦って、仲間になれたヤツもいる。そうじゃなかったヤツも……
そこで思い出した人物こそ、ダズーとボゥだったのだ。
オレは忘れない!誰一人!すべての出会いが、オレを成長させてくれた!!
「忘れない」。それは和解することの叶わなかったダズー達のために自分は何ができるのか、彼の出した答えでもあるのかもしれない。
世界から消えてなんかいない。原作エピソードで出会ったキャラクターと同様に、アスタの記憶に刻まれ続けていた。日陰を生き続け、最期は人知れず散っていったかもしれないダズーとボゥは、それでもアニメ版ブラッククローバーの世界で確かに存在している。
彼女達との過去も背負って、アニメのアスタはこれからも、ハルカミライへ進んでいくのだ。