原作ゲームからのファンであるTwitterのフォロワーさんが勧めてくれたアニメ『文豪とアルケミスト~審判ノ歯車~』が、もう最高に面白かった。フォロワーさんには感謝してもしきれないくらいだ。
恥ずかしながら私は原作未プレイ勢なのだが、まず「文豪達の思念体が文学作品の世界に入って、侵蝕者(敵)が物語を改変することで歴史から作品の存在を消滅させようとするのを防ぐ」という基本設定からして面白い。これにより、知っている作品のifルートを提示されつつ、原典通りに進めようとする文豪達の奮闘を楽しめる(もちろん、知らなくても作中で解説してくれるので問題なし)。
また、侵蝕者に取り込まれたことで、作者は文学世界の主人公に成り代わっている。こうして『走れメロス』のメロスとセリヌンティウスの信頼は太宰治と師・佐藤春夫に、『桜の森の満開の下』の山賊の孤独は坂口安吾に。文学の世界の物語が、作者=本作のキャラクターの物語へ重なっていく。二重のドラマを味わえるのだ。
こうして、「アニメ版における主人公・芥川龍之介と、彼を慕うもう一人の主人公・太宰治が中心になって文学の世界で戦い、それを通してキャラクターが掘り下げられる」のが、ストーリーのフォーマットだと示される。
次に、バトルアクションのかっこよさを推したい。太宰が初回から「なんで文豪が戦うの!?そもそも武器持ってんのっておかしくない?」とメタいツッコミを入れてくる館長代理「痛いところを突くな…」が、いざバトルシーンになると半端さは一切感じられない。とにかく鮮やかで目が離せない。
そして、キャラクターが美麗なステンドグラス風に描かれ、文字をバックに縦横無尽に動き回る、神風動画によるオープニング映像も実に素晴らしい。
フォーマットを設定しつつも緩急の効いた展開で魅せてくれ、後半は衝撃の連続。題材を最大限に活かし、「物語」をめぐる熱い想いを描いた傑作であった。
※これ以降の内容はかなり重要なネタバレを含みますので、全話を視聴してから読むことをお勧めします
早速だが、見終わって即「神回…!!」と言ってしまった第9話の話をさせてくれ。
完全に私事だが、『人間失格』は中学の頃に著名な近代文学を読もうと思い立ってから二番目か三番目に触れた思い出深い作品で、断片的ながらその世界が見事に表現されていた。
主人公・葉蔵から見た理解し難い人間達は仮面をつけた不気味な姿で描かれ、追いつめられながら道化として生きるしかない彼の苦痛が真に迫ってくる。
そして道化の演技を見抜いた同級生には侵蝕者が宿っており、葉蔵はこの先待ち受ける悲惨な運命を一気に体験してしまう。かくして葉蔵=太宰は侵蝕者にそそのかされ、人間の中でもがいて生きる道を捨て、人々を血の海に沈めてしまうのである。
だが、窮地に現れた檀一雄(太宰の親友)はそんな彼に言う。
確かに、この物語の主人公が迎える結末は悲劇だ。だがな……
どこまでも人であろうとしたお前の生き様は、そりゃあ美しかったんだぜ。
主人公の葉蔵にとって、人間は自分を燃やすほどの熱い光だった。傷つくと知りながら、それでも葉蔵は光にこがれた……
憧れを捨ててんじゃねえ!自分を焼く光に手をのばせ!陰に……隠れるな!!
『人間失格』は救いのない哀しい物語。そんな印象を持っているのは、私だけではないだろう。女と心中するも自分だけが生き残り、別の女と幸福を築こうとするも上手くいかず、薬に溺れ人間失格の烙印を押されて終わる。
↑『人間失格』をアニメで表現してくれた作品といえば、これも忘れてはいけない
しかし檀の台詞を聞いて、目から鱗が落ちる思いだった。受け手の数だけ、解釈は存在する。誰かの解釈で印象が変わることもある。これも物語の魅力なのだ。
巨大化した侵蝕者の体を文豪達が調査兵団よろしく駆けめぐり、刃で斬り裂くアクションシーンも非常にダイナミックだった。隙がないぞ、このアニメ……!
こうして一件落着と思いきや、そこへ現れたのはもう一人の……いや、本物の芥川龍之介であった。
第1話から本を守るために侵蝕者と戦ってきた芥川だが、「生前の文豪としての記憶がない」など謎も多く、次第に侵蝕者に取り憑かれているような様子も見せた。「作風が変わりそれまでの作品を否定した晩年の彼は、侵蝕者に成り代わられていたのでは?」と、歴史ミステリーのような仮説も出てくる。
そして、本物を守るために偽の芥川(以後、「アクタガワ」と表記)を処刑しようとする生前の盟友達と、これまで共に戦ってきたアクタガワを見捨てられない太宰達は衝突。本来は仲間同士だが互いに譲れないもののために戦わざるを得ない、心なしか平成ライダーで見たことのある流れ……!
※小説家だし本の力で戦うけどこれは令和のライダーです
そんな中、ついに明らかになったアクタガワの正体に、「やられた!」とうなってしまった。それは、晩年の芥川が生み出したイマジナリーフレンドであった。
名小説家としてのプレッシャーに苦しみ、命を絶ってしまった芥川。アクタガワにとって彼は全てだった。小説を書くことさえなければ……アクタガワは歴史から著作の存在を消し去ることで彼を救うため、侵蝕者に力を与えられ、文豪から生まれた特性を活かして記憶を失いながらも潜入していたのだ。
誰よりも芥川龍之介に近い存在でありながら、彼の作品の消滅を望む侵蝕者側だった。序盤から振られ続けてきたアクタガワの謎。その答えは半分予想外で(もう半分は「二重人格だったのでは?」という予想がギリ当たった…ということになるだろうか?)、かつ納得のいくものだった。うーん、面白い。
記憶を取り戻したアクタガワは侵蝕者の力を解放し、太宰を除く文豪達を次々と倒し全滅させてしまう。主人公がラスボスであった。オープニングの歌詞「まさに地獄より地獄的」にふさわしすぎる状況で、アニメは最終回に突き進む。
芥川の小説『歯車』を改変した世界の中で、子供達に囲まれておだやかに笑う彼の姿を太宰に見せるアクタガワ。
本来、この小説は主人公が妻から「お父さんが死んでしまうような気がしたものですから…」と告げられて終わる。それは晩年の芥川の死への不安の表れで、あの笑顔こそが作家になどならなかった彼の本来の幸福なのだと。
しかし、太宰は子供達に死神のような鎌を振り下ろす。
『老年』、『奉教人の死』、『羅生門』、『鼻』、『煙草と悪魔』、『運』、『蜘蛛の糸』……!
『地獄変』!『邪宗門』、『舞踏会』、『アグニの神』、『藪の中』、『トロッコ』、『河童』、『蜃気楼』、『歯車』…………全て、俺の心に刻まれた作品だ!
俺だけじゃない。多くの人の心に残り、時には人生さえ変えた作品なんだ……!どれ一つとして、消えていいはずがない!
芥川の作品の名前を一つ一つ読みながら、幻を斬り裂いていくこのシーンは、荘厳なBGMも相まって最早圧巻の一言。(第4話でアクタガワの見た夢の中の人物に過ぎなかった、文学を通して仲を深めた現代の男子高校生達がここに活きてくるのもニクい)
そして太宰は、『歯車』を原典通りに終わらせて守るために告げる。「あなたが死んでしまうような気がしたものですから…」と。
ごめんなさい……芥川先生。俺は……俺は、あなたの死を望んだ……………
敬愛する芥川の自殺を知って深い悲嘆に暮れていた太宰が、この役目を果たさなければならない残酷さ。
だが、太宰はそれでも決断したのだ。その想いが、見ているこちらの胸を打つ。
アクタガワ「何をしている!何を考えてる!?自分が何をしたのかわかっているのか!?死ねと告げたんだぞ!芥川龍之介に!!」
アクタガワ「……なぜ避けなかった?」
太宰「避けられるはずがないよ……だって俺の後ろには……文学がある!」
太宰の作家・芥川龍之介への想い。
アクタガワの友・芥川龍之介への想い。
彼の自死を悲しんだ者同士が、対峙し信念をぶつけ合う。やりきれない、だからこそ熱い。
そして、復活した仲間達に向かって「行くぞ……みんな!!」とあまりにも王道過ぎる台詞をお出しする太宰。なんだ、ただの神最終回か……。
集大成らしい総力戦の果てに、他でもない芥川の介錯という形で、アクタガワにも救いのある決着を迎える。その結末に、私は大きく心を動かされた。
だが、よく考えたらそれも当然だろう。
このアニメは、物語を愛した文豪達を題材に、物語を愛する制作陣の方々から、物語を愛する我々に向けられた作品なのだから。
ここ最近使っていなかったが(別にそれを言うに値する作品が最近は少なくなったとかじゃなくて、多分自分の精神的余裕とかのアレ)、私の持ち得る創作物への最上級の賛辞を、『文豪とアルケミスト~審判ノ歯車~』に捧げたい。
これは、美しい物語だ。