以前にもアニメオリジナルシーンでのブチャラティについて書いたのだが、
あの時取りこぼしたシリアスな話がある。
第20話の回想において、パッショーネの麻薬売買を知ったシーンの話だ。
前回の記事では自分からトリッシュの手をにぎるかっこよさと変な喪服の話で終わったが、この20話のアニオリには、これから待つ運命を思うとあまりに残酷な皮肉となっているセリフも入っている。
一つはフーゴの「これからもっと組織の上を目指しましょう!」(まぶしく輝く瞳と笑顔が付属!)で、もう一つはあのシーンの中でのブチャラティのセリフだ。
……まず、麻薬売人に重傷を負わされた父を守るためにギャングになった彼が、組織が麻薬売買に乗り出していたと知るまさにその時やっていたのがある一家を他のギャングから守ることなの、もうすでにしんどすぎやしませんかね……。
ギャング「もうあの家族からは手を引く!」
「それがいい……死んでからでは後悔もできないからな。お前もギャングなら……」
この時に相手が麻薬を持っているのを見つけるが、「お前もギャングなら……」の後に何を言おうとしていたのだろうか。
彼が父と自分の身の安全と引き換えに、街を支配するパッショーネに奉仕と忠誠を誓ったことを考えれば、「強大な力を持つ組織には逆らうな」に近い意味のことを言おうとしていたのかもしれないと思っている。住民から慕われている優しいブチャラティのことだから、別に組織の指示ではなくカタギに頼まれて用心棒をしていたとも考えられるものの、チームのリーダーを任され幹部に気に入られているような相手を敵に回すとどうなるかを思うと、どちらにせよ不自然ではないはずだ。
「死んでからでは後悔もできない」と合わせて、「命が惜しければパッショーネには逆らうな」と言おうとしていたのだろう……と私は解釈している。
だがこの直後、正義と信じていたパッショーネが麻薬に手を染めていたと知り、ブチャラティの心は「ゆっくりと死んでいくだけ」となった。そして、ボスを倒そうとするジョルノと出会ってからの彼はあの忠告と真逆の生き方をし、実際に命を落としてしまう。
回想シーンの後、保身のために実の子供を殺すボスに激怒し(ここでも「家族」なんだよな)反逆したことで、ブチャラティは肉体が死ぬ。ゴールド・エクスペリエンスの力により、ほぼほぼ生きる屍のようになって戦い続けたが、「こんな世界とはいえオレは自分の『信じられる道』を歩いていたい」と語った心の方は、生涯で一番輝いていたんじゃあないだろうか。
そして、最終決戦で再びボスに殺されるところだったトリッシュを救い、ジョルノに「オレの心は生き返ったんだ……お前のおかげでな……」「幸福というのはこういうことだ」と語り、ついに魂も昇天していく。
ブチャラティ本人こそが、誰よりもあの忠告に逆らっていた。それが彼にとって「生き返った」ということで、「幸福」だった。二重どころか三重にも皮肉。
皮肉なんて言葉を使ってはいるが、私は決してネガティブに捉えているわけではない。悲しいが、非常に美しい生き様だったと思う。そんなブチャラティだから大好きだ。
さらに言えばジョルノとの出会いこそ、ジョルノが構成員である涙目のルカを敵に回し、パッショーネに目をつけられた結果だったりする……。これはちょっと余談だが、私個人は「ジョルノと出会ってさえいなければブチャラティ達は平穏でいられたのにな~」という見方はしていない。他のメンバーの話は今回のテーマから外れるので置いておくが、ブチャラティは命を捨ててでも己の正義を貫く形で最期を迎えられた分、ジョルノに救われたと信じている。というよりそういう解釈をした方が私の心が救われるのでしているのだ。ただのエゴだ(なので違う解釈をしてる人はあんまり気にしないでください)。
アニオリの話をしていたはずなのに原作の話ばかりになってしまったが、それもあのセリフがブチャラティというキャラクターに対し、(私なりの褒め言葉として使うけど)残酷さがとびきり優れているからだ。
まるで人の運命を全部わかった上で「実は、この後どんな未来が待っているかなんて知らなかった頃、こんなことを言っていたんですよ…」と語ってるみたいだな…と思ったが、原作が完結して約20年も後に作られたアニメのアニオリだから至極当然だった。
「残酷だな」と感じることができるのは、物語の外にいる我々だけ。そう思うと、いつも当たり前のようにやっている「物語を楽しむ」って、実はめちゃくちゃ業の深い行為なんじゃないか?なんて考えもよぎったりする。でも、その業の深さこそが好きだから、きっと一生やめられないだろう。
そんなことを思わせるアニメ版ジョジョ5部だから大好きだ。