わくわく公式派生作オタク

「原作では見られないオリジナルストーリー!」にわくわくが止まらない異端のオタク

原作と違うアニメも好きな異端のオタクと約ネバ二期の話

 数年前に私はある小説家のエッセイを読んでいたが、それが誰だったのか、タイトルはなんといったのか覚えていない。

 覚えてるのは「好きな小説の映画版を観た後、私はいつも居心地の悪い気持ちになっていた」から始まる一節があったことくらいだ。その後に「だが、◯◯◯の映画版だけは素晴らしくて…」と続くのだが(◯◯◯がなんだったかもやっぱり忘れた)、結局私はそれ以上読み進めることができなかった。

 「この人もあちら側か…」という強烈な居心地の悪さに堪えられなかった。

 

 あくまで私の主観だが、どれだけ自分の好きなものが不評だろうと「他人は他人」と割り切れる強靭な精神でない限り、映像化における原作と違うストーリー展開を好きになることは、居心地の悪さとの無限に続く戦いだ。

 

 もちろん、原作ファンから支持を得られる改変だってあるが、それは人間で言う一部のエリート層みたいなものである。ネットのどこかでエリートが誉められていてもあのエッセイ同様、もれなく「他のアニメや映画の原作改変は悪いものばかりだけど」と(それ、要る?)と言いたくなる枕詞がついてきて、結局居心地の悪さに襲われる。まあ私の居心地とかそんなもん知るかと言われたら、そりゃそうでしょうねとしか返しようがないが。

 

  そして居心地の悪さは、ただでさえ収束どころか拡大を続ける新型コロナウイルスにどこまでも心がすり減らされる時世でも、容赦なんかしてくれない。そのことを、『約束のネバーランド』のアニメ版第二期をめぐる話題で思い知った。

EPISODE1

EPISODE1

  • 発売日: 2021/01/07
  • メディア: Prime Video
 

 序盤を忠実にアニメ化した第一期に対し、二期は原作のストーリーとは大きく違っていたが、私にとっては今年の冬アニメの中で、いや上半期のアニメの中でもかなり面白く(無論ネタ的な意味などではなく純粋に)、毎週楽しみに見ていた。

 だが多くの視聴者からの反応は真逆だったようで、終了から一ヶ月半以上経っても、別のジャンプ原作大人気アニメの続編が同じフジで放送されるという正直うさん臭い週刊誌の記事が出ると、「約ネバ二期のように原作改悪されるに違いない!」という雑で勝手な決めつけの巻き込まれ被害に遭う有様であった。私は泣いた。

 

 なお、子供の頃から「原作と違うアニメを自分は好きになるが他のオタクには叩かれる」のを何度も経験しているが、どれも放送局がバラバラなので、馬鹿馬鹿しいことこの上ないとしか言いようがない。

  こんなの少しでも考えればわかることだと思うのだが、原作改変を蛇蝎の如く嫌う人達の民度はどうなっているのだろうか?まあ好きなアニメが叩かれると見境がなくなる上に、過去には自分も他人の好きなものを積極的に非難していた私が書いたところで超絶特大ブーメランなんだが

 

 とにかく、二期ファンとして私の精神状態は完全にグロッキーになってしまった。せめて「自分も、原作と違っても約ネバ二期が好きですよ!」と言ってくれる人がいてくれれば……。いや、ずっと前から勘づいていたが、「人は人、自分は自分」と割り切れない悪い意味で繊細な私が、インターネットに向いていないのが原因だ。わかってはいる。本当だよ?

 だが、そんな時に出会った他の方の感想が、私の心を救ってくれた。約ネバとは一切関係なく、漫画でもアニメでもないのだが、私個人は面白いと思ったけどネットでは不評だったある作品のエピソードの感想だ。このエピソードのここが熱い、ここが切ない、ここにこのキャラの成長を垣間見たと、私の脳内よりもよっぽど雄弁に語られていた。素直に嬉しかったし、感動すら覚えた。ネットやってると、悪いことも良いことも両方あるものだ。

 

  ここで私は、「約ネバ二期が非難されていることを嘆くより、どんなに少数派だとしても、同じことを感じている【他の誰か】がどこかにいる可能性があるなら、遠慮せず自分は二期のどんなところがどれだけ好きかを語るべきだったのではないか?あの感想を書いた人のように、【他の誰か】を勇気づけられるファンを目指すべきでは?」と思った。

 というか私自身忘れがちだが、そもそもこの「わくわく公式派生作オタク」は、批判に晒されがちなアニメ版のオリジナル要素であっても、何かを好きになることは素晴らしいと言うためのブログだ。

hijikidays2.hatenablog.com

 

 なのにそれを約ネバ二期に対してなかなかできなかったのは、私が勇気を出して好きなところを書いても、「あんなのが好きなんて、おかしいんじゃないの?」だの「フジにいくらもらったんだ?」だのと心ない言葉を投げつけられるのが恐ろしかったからだ(念のため書いておくが、私が「自分は好きだから」以外の理由で原作と違う公式派生作を褒めることは、今までもこれからも絶対にない)

  だが割とメンタルが回復してきたので、これからは恐れずに書いていきたいのだが、私は否が応でも暗い気持ちにさせられる時世の中、理想を貫くのがどれだけ困難な道だとしても、あきらめずに「みんなを助けたい」と奮闘するエマの姿に支えられていた。

 

 そして二期を見ていて特に盛り上がったのは、死んだと思われていたノーマンと再会できたと思いきや、彼は鬼をこの世から一匹残らず駆逐せんとする勢力の筆頭となっており、鬼の村を襲撃してしまうくだり。

 ……その話に入る前に、私はまだ原作をゴールディ・ポンド編までしか履修していないため、ノーマンとの再会以降はどこが原作にもあってどこがアニメオリジナルなのかわからない状態でこの記事を書いていることを正直に白状したい。

 しかし、「原作を全部読んでからでなければ、褒めたり好きだと書いたりしてはいけない」ルールなんて別にこの世のどこにもないはずで、好きなところとして挙げているのが原作にあるなら「改変の多かったアニメ版でも、視聴者に原作のシーンの良さが伝わっているんだな」と思ってもらいたい。原作にないか、あっても大きく改変されてるとしても、私はそういうのが好きなオタクだからしょうがないです。

 なお原作は遠くない内に必ず全巻読破するつもりなので、そこは安心してほしい(アニメ独自のストーリーと、カットされた原作のストーリーを両方楽しむのが自分の主義なので)。

 

 共にラムダを脱出した仲間達の中で最も幼い見た目でありながら、彼らにボスと称えられるノーマンが、余命わずかな身であるのを誰にも告げず「僕は神にでも悪魔にでも喜んでなるよ」と改めて冷酷になろうとするシーンは、見直してみるとこの台詞といい昔からは考えられないギラついた表情といい内田真礼さんの熱演といい、記憶の中以上に圧倒的に「「好み」」すぎて、もう誰がなんと言おうと私の2021年上半期アニメ少年キャラベストはノーマンでいいよ……となる。なった。

 

 しかし襲撃を決行し、人間と同じように家族で支え合っていた鬼達の村を地獄絵図にしてしまったそのタイミングで、「家族を置いて一人で逃げたくないと泣き叫ぶエマという名の少女」をノーマンの目と鼻の先に突きつける残酷さよ。

 「何を迷っているんだ?」「こんなことは最初から全部わかっていたじゃないか」「もうこれしか道がないんだ」。自分自身に必死に言い聞かせる言葉が、あまりに悲痛すぎる。

 

 そこに駆けつけたエマが見出したのは、ボスでもテロリストでもなく、「泣いている幼いノーマン」だったことに胸が熱くなった(ここで泣く声以外の音が止まる演出もたまらない)。

 自分達と離れている間に大きく変わってしまったようなノーマンが、本質は変わっていないのをエマは見抜き、「誰よりも強くて優しい」ところも「臆病で傲慢」なところも全て受け止める。

「ねえノーマン……神様になんかならなくていいんだよ」

「守ってくれなくていい!私はノーマンの隣を歩きたい!」

 今度こそは、ノーマンを独りで行かせない。想いを貫いたエマが、ついに彼の本心を引き出す。一期の頃からカッコイイと思ってたけど、私の中でアニメ約ネバ一のイケメンの座にエマが内定した瞬間であった。

 

 もちろん、「お前はまた、独りで苦しむ未来を選ぶのかよ!一緒に育った家族だろ!?」と一喝したレイもすごくかっこよかった。話は飛ぶが、レイは最終話のイザベラへの「悔いがあるなら生きて、人間の世界で晴らせよ」という言葉もかっこいい。農園のシステムに実の母子としての関係を歪められた彼が言うとこがすごく良い。

 

 ただ、一方で王族達を真の黒幕的な存在として、「鬼の世界を変革し、約束を結び直すこと」を真の目的として提示しておきながら、それがダイジェストのような形で済まされてしまったラストはものすごく勿体なかったと感じている。

 ……それはそれとして、エマ達と別れた仲間が人間の世界で手に入れた日常を過ごしながら年月を重ねてゆき、再会を待ち望む間にハウスの年少組もすっかり背が伸びるほどに時間が経ってしまった切なさ、そしてついにフィルとエマの再会が果たされるまでの映像と音楽の美しさを思うと、あのシーン自体にはあまり否定的になれないのだが……。

 きっと原作では尺を割いてはっきり描かれているのだろうが、自分は「アニメ版で独自に広げたストーリーは、アニメ版の中できっちり決着をつけてこそ」と考えているので。ただ、これもまた私個人の考え方でしかないけれど。

 

 しかしすごいなと思うのは、「終わり良ければ全て良し」とは言うけれど、逆に終わり方に納得がいっていないのに、ネット上の評価がどうであれ私がここまで約ネバ二期を好きなままだということだ。相当このアニメへの愛が深いんだな…と他人事のように感心してしまった。

 

気をつけて頂きたいのは、私のスタンスは「何かと拙いものとされがちな、メディア化における原作改変の中にだって、こんな秀逸なのもあるんですよ」ではなく、「確かに突っ込みたいところもあるが、私は好きだ!!!!」であるということだ。

新ブログ開設にあたって - わくわく公式派生作オタク

 そう、フジだろうが他局だろうが、ジャンプ原作だろうがそうじゃなかろうが、私は多くの公式メディアミックスにおける原作と違う要素に対してこんな感じだ。それの何が変なことなのだろうか?その気持ちに正直でいてはいけないと誰が決めたのだろうか?

 今回の記事においては、「同じことを感じている【他の誰か】がどこかにいる可能性があるなら~【他の誰か】を勇気づけられるファンを目指すべき」と己を奮い立たせることで書けたが、「誰かのため」にばかり振れすぎるのもブログ開設当初の目的と違ってくるし、弱い自分のことだから疲れてしまうだろう。 きっと私を救ってくれた感想記事を書いた方も、ご本人は自分の中の愛を文章で表現したかっただけで、私はあくまでそのついでに救われたのだ。

 これからはまた、このブログを自分自身にとって居心地の良い場所にし続けるために、書きたいことを書きたいように書き続ける。そうして、「わくわく公式派生作オタク」が私と同じ嗜好を持つ【他の誰か】にとっても居心地の良い場所になれるのなら、それに越したことはない。

 

EPISODE10

EPISODE10

  • 発売日: 2021/03/19
  • メディア: Prime Video
 

 

 

これも怒られそうな気がしつつ正直に書くが、自分は三期か劇場版でダイジェストの内容を詳しくやった後に、「仕切り直し」というか二期序盤以降とはパラレルという形でカットされた原作エピソードをアニメ化してほしいのだが、それは難しそうなのがしんどいというか、世間にはこのまま「仕切り直し」コースを望む人の方が圧倒的に多いのは予想しつつもそれではハガレンで例えるとシャンバラが上映されないままFAが始まるようなものというか、伝われ