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【実写版ジョジョ4部】本当の「好き」は他人の評価で砕けない。見返してわかった魅力の数々

 「好き」が必ず報われるなら幸せなのに。

 

 恋の話ではないんだ。今回の記事は待望の(いや、別に誰も待ってねーかもしんないけど)実写版レビュー。

 作品は『ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章』。

 

 …そう、第一章なのだ。

 ジョジョの実写化といえば、後発のドラマ版『岸辺露伴は動かない』(厳密にはスピンオフだが)は好評を得て、今年の年末も続編が放映される。

 

 一方、こちらは興行収入が振るわなかったためか、2017年夏に公開してから未だに第二章の音沙汰が全くない。

 さらには承太郎役・伊勢谷友介氏が後に逮捕されてしまうという泣きっ面に蜂は蜂でもスズメバチだろおい第二章を作ってほしい層に降りかかる幸せと不幸のバランス一体どうなってんだよおかしいだろ!とあまりの仕打ちに叫びたくなる私を誰も責められまい。仮に責められても無視する。

 記事冒頭の文章はそういうことである。

 

 でも、私は実写映画版4部が失敗作だなんて、絶対に言わない。親友や家族の命でも人質にとられない限り、言ってやるものか。

 

 

 …というのは、公開当時から四年数か月ぶりにアマプラで見直す前に書いた文章だった。

 別に、見直したら「自分は失敗作なんて言わない」という考えが変わったわけではない。むしろますます強固になったくらいだ。

 

 ただ、「ふええ…つらいことばっかりだよお…第二章が決まらないと心が救われないよお…ふええ…でも何も動きがないよお…」とメソついた感情が、

 

 面白いじゃん!!!!これ!!!!スゲー良い映像化じゃん!!!!これ!!!!

 売り上げとか他人の評価とかしらねーーーーー!!ばーーか!!

 ってたいへんイケイケな感情に変わっただけの話である。

 

 まあ確かにその感情も「続き見たいのになんで無いのぉ…?」に帰結することはするのだが……。

 それでも、仮に第二章が今後も作られないとしても、私を魅了した時点でジョジョ4部の実写映画化は正解だったし成功だったとしか、今の自分には思えないのだ。

 

 

好きな映像表現

 本作の特質の一つは、サスペンスホラーを見ているような、じわじわせまる恐怖を醸し出す映像。

 もう導入からして、殺した子供の誕生日パーティーのために用意された料理を、暗闇の中独りで貪り喰らうアンジェロから始まる。被害者の局部を切り取って打ちつけなくても十分怖い。

 

 怖さに一役買っているのが、「スタンド攻撃」の表現の不気味さだ。

 本作には特別グロテスクなシーンがあるわけではないが、アンジェロは実写でもモブを殺しまくるし、モブも主要キャラも口から血がドボドボ出るし、バッド・カンパニーに銃撃された痕は痛々しい。こうした殺人・負傷の描写に加えて、得体の知れない超常現象のようなスタンド攻撃が恐ろしい。

 

 アクア・ネックレスに荒らし回された東方家の、あらゆる蛇口から水があふれ出し水浸しにされた異様な光景(おまけに冷蔵庫からしたたる赤ワインが血みたいで不吉)。部屋に充満した水蒸気が形作るアクア・ネックレスの巨大な顔と手など、まさに悪霊だ。

 主役のクレイジー・ダイヤモンドの優しい能力すら、ぶっ飛ばした不良上級生の前を仗助が通った途端に傷が治っていたり、康一のひん曲がった自転車がいつの間にか動かせるようになっていたり…ってところはちょっと怖い。

 ジョジョの世界の住人達はみんなこれを体感しているのか。すごすぎる。私なら心臓がもたない。

 

 ただ、もちろんCGのクレイジー・ダイヤモンド達はヒロイックで、ラッシュパンチも見せてくれる。

 アンジェロを岩にする時、仗助が怒りをこめたように「クレイジー…ダイヤモンド…」と声を発した後、背後から姿を現すカットなどは「バァァァン」の文字が心眼で見える。

 

 本体(人間キャラ)のシーンでかっこいいと思うのは、「お前ならどう切り抜ける?」と言葉を交わしながら、徐々に背中合わせになっていく仗助と承太郎のカット。

 荒らされた部屋に続き、二人の足が水に浸っている=すでにあの恐ろしい殺人鬼アンジェロの能力に狙われる範疇にいる、と印象づけてくるのが観る者の緊張感をあおってくる。

 

 そして原作からの名場面である、なぜ自分を助けたのかと億泰に問い詰められた仗助の「何も死ぬことはねえ、さっきはそう思っただけだよ」。

 邦画プレゼン漫画『邦キチ!映子さん』の本作を取り上げた回では、「尺余ってんの!?」というツッコミと共に描かれてしまったが……(まあこの映画のテンポの遅さにつっこみたくなるのはすごくわかる。詳しくは後で)。

 ここは仗助の横顔が少し見えるくらいであとはほぼ二人の背後だけを撮っており、「背中で語る」的な渋さが感じられる。

 

 今回実写映画版4部を見直して改めて思ったけれど、単にバトル漫画らしい特殊能力ではなく、「恐怖体験をもたらす悪霊」と「ヒロイックな守護神」の両面を持つものこそがスタンドであり、同時に「怖さ」と「熱さ」の両面を持つのがジョジョという作品なのだ。

 実写映画は怖さの方にちょっと偏ってた印象は確かにあるが、それもまたテレビアニメ版とは毛色の違う映像化アプローチで面白いと感じた。

 

 また熱さとは違うが、小さな紙切れ達が寄り集まっていき、虹村一家の家族写真へと戻るシーンは幻想的ですらある。さっきあんなこと書いちゃったけど、やっぱりこの世のどんな事よりも優しい能力なんだな、と。

 

 あと、バッド・カンパニーの小ささとは裏腹に非常に脅威的な存在感。室内に落ちているボロボロのおもちゃの人形との対比も良い(同時に、兄弟が幼い頃の一家の様子がうかがえつつ、それは最早はるか過去だと読み取れるところも好きだ)。

 

 最後に「スタンド能力の覚醒」の描写にも触れておきたい。

 アンジェロが形兆の放った矢に貫かれ、彼の血は水たまりの中へ流れてゆき、すると水面が激しい振動を始め……この描写が恐ろしいながらもあまりにも魅力的だ。

 「血」が強調されるのもまた、まるで文学を読み上げているかのような「出会いとは重力……」という形兆の声も相まって、『ジョジョの奇妙な冒険』がジョースター一族の運命の物語であること、本作では一族の詳細やDIOとの因縁は省略しているものの「家族」を中心に据えた物語となっていることを暗示しており、実に良い始め方ではないだろうか。

 

好きなアレンジ

 本作には、映画オリジナルの食事シーンが三回出てくる。一回目は冒頭のアンジェロ一人の食事、二回目はアンジェロと形兆の食事だ。

 そこで、アンジェロが最初に殺したのは彼自身の父親という独自設定が語られ、「俺がこうなったのは全て父のせい」と話し、形兆の中にも父への憎悪を見出す。

 

(ただし、本作でのアンジェロは追いつめられると「俺を邪魔したお前が悪い」「俺にスタンドを与えた奴が悪い」と、自分の凶行を他人のせいにする卑劣な人物として描かれており、本当に父親に非があったのかは怪しい。安易に「アンジェロに悲しき過去…」にしないバランスが良い)

 

 この直後に流れるのが三回目、東方家の打って変わって和やかな食卓だ。

 「父を殺したアンジェロ」「父を殺せるスタンド使いを求める形兆」と、「生まれてから一度も父と会ったことがないが、祖父と母の愛情を受けて暮らしている仗助」の鮮やかな対比。

 中盤はアンジェロとの戦い・祖父の死を通した東方家、後半は億泰と形兆との戦い・怪物となった父親を通した虹村家にフォーカスが当たる本作。家族の物語であることが、食事によって描かれている。

 

 原作・アニメを知っていればわかる通り、仗助の祖父・良平はアンジェロに殺されてしまう。本作では、その直前までの仗助と祖父の絡みが増えており、見ていて切なくならずにはいられない。

 老いてなお、町を守るためにダンベルで鍛えている祖父。「仗助の仗はな…」と説こうとするのを遮り、「俺はそんな生き方は御免」と言うと「わかってる。お前はお前、俺は俺だ」と返される…このやりとりが、後の伏線となっている。

 祖父の死後、遺されたダンベルを独り持ち上げる仗助がより一層切ない……。

 

 祖父の遺品には杜王町で起きた事件のスクラップ帳があり、その中には杉本鈴美が殺された事件の記録もあった(しかも、「四歳少年を保護 鈴美お姉ちゃんが助けてくれたと証言」と書かれているのがはっきり確認できる)。

 本作の二人には生前面識があり、いつも明るく挨拶してくれる鈴美の存在は祖父の励みになっていた。事件が起きた時、祖父は彼女を守れなかった悔しさから、二十年の勤務を記念して贈られた腕時計を叩きつけ、机の引き出しに封印したのだという。

 

 さて、原作では祖父を殺された直後のあのシーンが、ラスト付近に移動されて第一章における仗助の物語の締めとして扱われているが、そこにもう本当に感動したので熱く語らせてくれ。

仗助の仗は、守るという意味です。

人を守り、助ける……じいちゃんがこの名前を俺につけてくれました。

 そこから原作の名台詞に続く。「俺がこの町を守りますよ どんなことが起ころうと……」と。その腕に、傷を直した腕時計をつけて。

 

 ここで思い出してほしい、祖父自身は仗助の名前の由来を話そうとしたあたりで、「お前はお前、俺は俺だ」と言っていた。

 そう、決して押しつけられたわけではなく、仗助が自らの意志で祖父の生き方を継承したのだとより強調されている。素晴らしいアレンジではないだろうか。

 鈴美が殺された時から壊れて止まっていた腕時計が、クレイジー・ダイヤモンドの力で再び動き出す。祖父の悔恨を通して因縁が生まれた、吉良吉影との戦いの始まりも意味しているのかもしれない。

 このエモさ、グレートだぜ実写映画版…!

 

 エモいといえば、あらゆる作品であったら私が喜ぶやつ「序盤の台詞・場面が、終盤でそれまで描いてきたことを踏まえた上で繰り返される」。

 仗助と億泰からやり直すように諭されるも、すでに何人も殺している形兆は「出会いとは重力……重力が全てを引き寄せた。その運命に逆らうつもりはない」と拒絶する。

 しかし、「違うぜ。運命なんて、こっちの想いでどうにでもなる」と仗助。実に奇妙な運命に抗い、戦い続けるジョジョ主人公らしい返しではないか。

 

 もう一つ、受け手目線のキャラクター・康一の独白。

 序盤の彼は

僕は広瀬康一。三日前にこの杜王町に引っ越してきた…

(中略)

新しい日々が始まる。

どんな友達と出会い、どんな出来事が待っているのか、楽しみだ……

といかにも導入らしいセリフで設定を提示しつつ、その後仗助達と関わっていく。

 

 対して、ラストでは

僕は広瀬康一。二週間前にこの杜王町に引っ越してきた…

そして僕はこの二人(仗助・億泰)と出会い、二人と同じスタンド使いになったんだ。

新たな日々が始まる……

と、この二時間の映画の中で仗助・億泰と友人になったこと、彼が「受け手目線のキャラ」ではあっても「普通の高校生」ではなくなったことを示して、第一章が終わる構成になっている。

 うーん、なんて第二章への期待をあおる終わり方なんだ……

 

 最初の方で書いた「第二章が作られないとしても、私を魅了した時点でジョジョ4部の実写映画化は正解で成功」に嘘はないけど、それはそれとしてやっぱり見たいんですよ、新たな日々……。だって、見たいから……。

 

キャラクター・キャスト

 実は観に行った当時、主役の「山﨑賢人の仗助」はそこまで印象が強くなかったのだが(わいの意識が承太郎と億泰と由花子に向かい過ぎてて…)、「不良だが根は熱くて優しい少年」をよく表現してくれたと思う。

 殺された祖父が絶対に生き返らないと理解した涙、バッド・カンパニー戦で戦えない康一をかばう動作、形兆を喪った億泰の悲しみを受け止めるあの表情からにじみ出る優しさよ。あとアニメの小野友樹への声の寄せ方が上手い。

 

 絶対に触れておきたいのが、観る前の「え~億泰を演じるのがイケメンなの~?」とかスカした気持ちをガオンしてくれた億泰。

 「そうだよなあ…(別の方向を見てからもう一度形兆を見て)あたりめーだよなあ?兄貴(うれしそう)」なんて、強面でバカワイイ億泰らしさが最高に出ていた。

 もはや新田真剣佑のスタンドは高木渉と言い切っても、実写4部好きな人にならだいたい同意してもらえると思う。そうかな…そうかも…

 

 康一も、虹村邸に仗助を追いかけて来たあたりから神木隆之介梶裕貴パワーが開放されていくのが良かった。

 あそこから康一は戦士の一人として目覚めていくので、それまでの周囲の変人に振り回される役割から明確に雰囲気が変わっていた。

 

 山田孝之のアンジェロはほんとにサスペンス映画のサイコキラー全開で怖かった。この映画の怖さ、人間サイドはだいたいこの人のおかげ。……スタンドもだいたいアンジェロのせいだな。

 岡田将生の形兆兄貴も、これまで書いてきた「出会いとは重力…」やアンジェロとの食事をふくむオリジナル描写と、原作描写の再現のどちらでも複雑な心情を併せ持ったキャラクター性がよく出ていて好印象。

 

 さて、本当に第二章がずっと作られないままだったら、一番もったいないのは間違いなく小松菜奈の由花子になってしまうだろう。

 第一章ではただ「康一の世話を焼く女の子」で、誰かに危害を加えたりは一切してないのに、もう明らかに病みの波動を感じるというか、なんというか。

 康一への宿題がびっっしり書かれた怪しい表紙のノート、さも当然のようにくっつける机、ゆっくりとほほえみが消えていく唇、「気になる相手に昨日よりキレイになったところを気づいてもらおうとする」って文字にするとラブコメなのにまるで誘導尋問……なんか彼女もこの映画のホラー要素じゃない!?まだ何もしてないのに!!

 このまま突き進んだら原作をどう再現してくれるのか、気になって仕方がない。見たいよお、ブチギレて康一くんを拉致監禁する菜奈ちゃんの由花子が見たいよお……。

 

 そして承太郎……今となっては悔しさすら覚えるけど、それでもやっぱメチャクチャ渋くてカッッコイイ……。

 原作の4太郎の「完璧再現」ではないんですよね。28歳より明らかに老けて見えるし(本作では演者に合わせた年齢設定なのだろうか)。でも、私は年を取るほど高校時代より若々しい外見になってる気がする原作・アニメの承太郎も良いけど、この高校生の仗助達と比べて老成してるというか、成熟した戦士の雰囲気がすごく好きで。

 

 ……もう本当に(さっきの由花子とはもちろん全く違う意味で)もったいないですよ……。

 よい子は「お前も何か見えるんじゃないか?」に別の意味を見出す大人にならないでください……。

 

当時の自分の不満と向き合う

 さて、ここまで散々高評価してきて大変お恥ずかしいのだが……2017年末、その年に観た二十六本の映画の好きランキングを作った時、私は本作をワースト2に選んでいた。なんでや!!!!(自分自身に向かって)

 とはいえ、あの頃の感想を読み直すと「最初に言っておきたいのは、人気漫画の実写化として問題があると思ったからこの順位にしたのではないこと」「悪い実写化ではないんだが…という評価」と書いていて、このスタンスはずっと貫いているなあ。

 

 じゃあなんでこの順位?というと、それはやっぱテンポの悪さなんだよね。これだけは見直しても印象が変わらなかった。

 面白いのに集中力が持続しない、面白いのに退屈さを感じてしまう。それで尺二時間よ。公開当時の自分はそもそも「劇場の座席に一時間以上拘束されて一本の作品を観る」ことにまだ全然慣れておらず、そこにこの映画は確かに厳しかったかもな…とは思う。

 そう思うとやっぱ、見放題配信はコスパも良くてハードルが低い。

 私のように見ていて「面白いし合わないわけじゃないし最後まで見たいのに、なんか飽きがきた」と思った人は、特に一気見することにこだわらず、「続きはごはんの後」「続きは明日」と分割するのも手だ。自宅鑑賞は楽しむのが一番なので、罪悪感は特に要らない。

 

 他には、「原作序盤を丁寧に再現してくれたのが仇となった」「公開前年に放映されたアニメの既視感」。……難しいよなあこれは……。

 こう思っていたので、『邦キチ!映子さん』に出てきたセリフ「勝手ですまないとは思うが、原作通りに実写化されてもそれはそれで『確認作業』になってしまう」にある程度共感したのも事実だ。

 

 ……事実だけど、これを制作陣の皆様のせいにすんのは理不尽な気がする……。だって、いっぱい変えたらそれはそれで非難されるもんね……(でも丁寧に再現した結果が興収爆死なんだから現実は非情である)。

 単にタイミングが悪かった気もするんですよ。見直した時に「覚えてなかったけどこういうアレンジもあったんだ!いいじゃん!!」ってところも色々あったけど、もうすぐ6部アニメが始まるって時期だから既視感より新鮮さが上回ったのかもしれない。

 

 一番の要因は、続編の前振りを「出し惜しみ」と感じてしまったところなのだよな。前の項で書いた由花子と、エコーズAct1。

 形兆戦で卵から生まれてきて「おおっ!映画ではここで活躍するのか!!」と期待したら、パンチを盛大に空振りし康一が(客席のわいと一緒に)唖然とするだけで出番終了、という。擬音?ないよ。まだ赤ちゃんだったんだね……。

 由花子もあの妖しさが良かっただけに、康一が連れて行かれたと知りラブ・デラックスで戦いに乱入してほしかったというか、ヤバげなクラスメートで終わってほしくなかったのが当時の感想。

 この四年間あれがずっと引っかかっており、実写4部のことを考えると真っ先に浮かんでしまうし、話をしようとすると真っ先に書いてしまうレベルだった。観に行った時から好きなくせにお前、お前〜〜!!(自分自身に対して)

 

 でも今回見直した時、形兆に勝利後の仗助が「康一が(ばぶちゃんエコーズで)時間を稼いでくれたおかげだ」と言ってて、あっなんだ全然無意味じゃなかったじゃん!!とちょっと魂が救われた気がしました。

 虹村邸を訪れる理由も、単身形兆を追う仗助を心配してついてくる形に変更されていたし(仗助には自分を置いて帰れと促されるも毅然と断り、勇敢さを垣間見せる。神木くんの梶さんパワーが出てきたのはここ)、まだ攻撃は使えなくても、ここで康一は仗助と戦友になれたんだなあ……ていうか当時の私、なんで忘れてんだよ!覚えとけよ!おい!!

 

 今では過去の「ああしてほしかった、こうしてほしかった」を思い出しても(うーん、どうなのかなあ…)と首を傾げてしまう。

 他のファンの評価は今よりも下がってたんじゃないのか、それでは。まあそんなもんだよね、素人の妄想なんて。

 

おわりに

 すまんな、例によって自分語りなんだが、私は公開当時にいた職場でみんな一緒に昼食を食べていたら、先輩にクソデカ声で本作をこき下ろされたことがある。地獄か。

 もしそのこき下ろし方が、私も感じた「テンポが悪い」だとか、あるいは私にとっては好印象だったが「アレンジが解釈違い」だったら、(私は実写4部が好きだが、この人にとっては合わなかったのだろう)と納得できたかもしれない。

 だが、彼女の口から出たのは「ビジュアルがコスプレ、設定は宮城なのにスペインで撮影、案の定興収は大コケ(笑)」と、映画を見ていなくても言えることだけ。観に行ってねえだろお前。

 

 別に、私はジョジョ好きなら絶対見ろとは言わない。見る気がしない、そもそも実写化が苦手だ、そこまでは人それぞれだよなとは思う。

 だが、見てないけど実写化だし売れなかったからクソだと決めつけ周囲に吹聴していいって、「てめーは越えてはならねえ一線を越えた」だろ、それは。しかも好きな私の目の前で。

 もっとも、その先輩は私が実写4部好きだなんて知らなかったんだからそこは仕方ない。

 

 しかし、私は何も言えなかった。自分の一言で職場の人々と変な空気になってしまう恐怖、誰の中にもあるはずだ。

 その上、仕事で失敗ばかりでいつも先輩に助けてもらっている私が、機嫌を損ねるわけにはいかなかった。先に言ったもん勝ち、立場が強い者勝ちだ。……現実は非情である。

 

 あの出来事から私は、実写映画版4部自体は好きなままでも、「実写映画版4部を好きな自分」のことは好きではなくなってしまっていた気がする。

 好きな気持ちにブレーキをかけるようになってしまった。だから、ふええ…とメソついた感情になっていたのかもしれない。

 だけど、本作の面白さを当時よりずっとたくさん見つけた今、あの人に対して湧いてくるのは怒りでも恐怖でもない、ただただ憐れみだ。

 

 自分で見たこともないのに、上ずみだけすくってわかった気になってこき下ろす人間。

 自分にとっては見る気もしないが、中には本当に好きな人だっているかもしれない、それは今隣にいる同僚なのかもしれない…という想像力も働かない人間。

 なんて薄っぺらくて可哀想なんだろう。

 そんな奴の薄っぺらさのために、もう二度と自分にとっての宝物の輝きを曇らせてやるものか。

 

 見た後でこんなにも勇気がわいてくるなんて、ああ、やっぱりジョジョって人間讃歌の物語なんだよな。

 人間讃歌は勇気の讃歌、人間の素晴らしさは勇気の素晴らしさ。

 実写映画版4部はそれをちゃんと再現していて、私に届けてくれたのだ。

 あのセリフ4部じゃないけど。

 

ダイヤモンドは砕けない

ダイヤモンドは砕けない

 

 

 

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