ついに最新作「スカーレット・バイオレット」が発売されたこの頃、みなさんいかがお過ごしでしょうか?(ラジオ風の始まり方)
前回の続き…といってもあちらはアニメ、今回は漫画と実写版『名探偵ピカチュウ』の話なので、別々に読んでくださってもOKです。
さて、「ポケモンの漫画版の話」とは言っても、私は人気の高いポケスペこと『ポケットモンスターSPECIAL』は子供時代に少しかじった程度なのだ。お恥ずかしい…。
その少しかじった部分はというと、当時買っていた学年誌に掲載されていた「ルビー・サファイア編」。
「コンテスト制覇を目指す都会的な男子主人公・ルビー」と「ジムバトルに挑む野生的な女子主人公・サファイア」が時に別々の冒険をし、時に合流するストーリーは、あの頃の私にはとても新鮮に映ったのを覚えている。
他にも、ギエピーこと『(穴久保版)ポケットモンスター』、『電撃!ピカチュウ』はどちらも1巻だけ持っていた。
穴久保版ではピッピに「腰についてる(モンスター)ボール」と言われ、「これか!」と自分のきんのたまを握るレッド(本名・赤井勇)に爆笑していた。この頃から下ネタが好きだったのである…
電ピカは、今思い出すとポケモン達の描写の独特さも興味深いが、とにかく女性キャラがことごとくデカパイなのとカスミの水着がやたらスケベなのが子供心にインパクト抜群の漫画だった笑
さて、それでは何のポケモン漫画がこの記事のメインなのか。それは……
ポケットモンスター全書(全1巻)!!
どれくらいの人が知ってるかわからんけど!!
Amazonにページ自体はあったが、「現在お取り扱いしていません」となっている。残念…
これは私が小学生の頃に中古で買った漫画で、「赤・緑」をベースにしている。
「ポケモンが151匹全種登場します!」という触れ込みで、(これ一冊分のストーリーで!?すげえ!!)と思い購入したのだが、実際はラスト見開き二ページで本編中に出せなかったポケモン達を大集合させて実現している。いや、やっぱ全種を話に絡ませんの無理だったんじゃねーか!!
しかし、良い意味で記憶に残っている部分も多い漫画だ。
真の主軸は全種のポケモンの登場ではなく、サトシとシゲルのライバル関係である(もちろん、アニメ・ゲームの彼らとは似て非なる別人)。
本作でのシゲルは、サトシへの高圧的な態度の裏には「祖父・オーキド博士が志半ばで諦めたポケモン図鑑を完成させる夢は、自分が果たさなければならない」という想いがあったと設定されている。
ラストバトルの後、サトシへの敗北を認めきれなかったシゲルを倒れる銅像からサトシがかばい、
「サトシ…オレ、忘れてたよ。お前が友達だってこと…」
「オレは…忘れてなかったよ…」
と言葉を交わすシーンの感動は、今でも忘れられない。
シゲルが自らにかけてしまったプレッシャーを、サトシとの友情が洗い流す。最高じゃないか。
そして、本作のサトシもピカチュウを手持ちにしているのだが、なんとピカチュウ自身の意志でライチュウに進化をする。最初は拒んでいたにも関わらずだ。
これは前述のラストバトルより前に、サトシが初めてシゲルに敗北したからだった。
サトシのためにもっと強くなりたい……そんな気持ちからの選択。
「いいのか?」と聞くと笑顔でうなずいたライチュウを、サトシが抱きしめるカットの温かさ。
こうして書いていると、もっと他の人にも読んでもらいたくなってくるが、Amazonで手に入らないくらいなので……。勿体無い……。
次は実写映画版『名探偵ピカチュウ』の話に行こう。
アマプラでは見放題対象でなくなってしまったが、ネトフリで見られる
恥ずかしながらゲーム版はまだプレイしてない。
『名探偵ピカチュウ』、とにかくピカチュウが可愛い。いや前回も書いたわ!!
どんだけピカチュウ好きやねん。だってものすごく可愛いですからね…しょうがないね…。
話題になったシワシワな表情だけではなく、とにかくふわふわで、耳とシッポがぴこぴこ動く。これで中身はコーヒー好きのおじさんなのが最高だ。
西島秀俊さんの吹き替えも良い。渋声でパートナーを「ボウズ」呼びするピカチュウは一度聞いてみてほしい。
さて、正直私がわざわざ書かなくてもあらゆる人がとっくに書き尽くしてるとは思うのだが、ピカチュウに限らず本作での現実にいそうなポケモン達は本当に素晴らしい。
モフモフだったりヌメヌメだったり、時に(こいつ人間食いそう…)と不気味に見えたりもするが、そこもまた「既存の生物とは似ているようで違うモンスター」らしいので好きだ。
序盤の「朝、まるでカラスのように電柱にとまっているピジョン達」からして(カラスのポケモンは他にいるがな!)、自分の知っている日常が一気にポケモンに上書きされ、それこそがこの世界に生きる人々の日常なのだと教えてくれる。
舞台のライムシティは、大都会の中で堂々とポケモンが人間と闊歩しているのが、「この街では当たり前のこと」として描かれている。
それらと対照的な、ネマシュの谷の日常から隔絶された幻想的な雰囲気。
また、ティム達がいた森の中は、超巨大怪獣サイズのドダイトスの上だったと発覚する場面は圧巻だ。
これぞ「ポケモンが存在する現実」であり、そして「ポケモンを映像で表現すること」の広がりを見せてくれた作品だ。
見終わった後は、自分も朝ピジョンの声で起きるかもしれない、すれ違う人がポケモンを連れているかもしれない、人里離れた場所へ旅行すればネマシュ達に会えるかも…とこちらの想像まで広がってしまう。
(巨大ドダイトスには、安全が確保できるくらい離れたところでお目にかかりたいが…笑)
また、ミュウツーの「人間は悪なのだ。だが、そうでない人間もいると学んだ」という言葉が指しているのは、初見では自分を解放しようとしたティムの父だと思っていた。
しかし、「そうでない人間」とはサトシのことでもあり、即ちこのミュウツーは『ミュウツーの逆襲』と同個体ではないかと解釈する人もいるらしく、なかなか奥深い話である。
実は私もすでに「スカーレット」を購入しているが、いまだにプレイできていない。
ゲームボーイアドバンス以来の本家ポケモンの世界。とてもワクワクする一方で、ビジュアルの様変わりした世界に果たしてついていけるのか?上手く操作できるのか?と不安もある。
しかし、今なお世界中の人々を魅了するポケモンを過去の思い出に閉じこめておくのは、それこそ勿体無いことだろう。
いい加減、パルデア地方に旅立ち、新しいポケモンとの冒険に飛びこまなくては…と記事を書き終えて改めて思ったのだった。
みんなもポケモン、ゲットだぜ!!