※アサヒのビールとは一切関係ございません
心ある人にたくさん心配をかけてしまうだろうし、心無い人には馬鹿にされるのが嫌だからこのブログにはあまり書いてこなかったと思うが、本当は私は過去から今に至るまでずっと死にたかった。
過去に人を傷つけたり迷惑をかけたりしたことを思い出すごとに。誰かの言葉に傷ついたことを思い出すごとに。消えてなくなりたいと思ってしまう。
そんな私が今日まで生きてきた理由は、大好きな漫画やアニメがあるからだった。大好きな推しキャラクターの供給がこの先もあるなら死ぬわけにいかないし、未来を楽しみにできた。
だけど、近年の私は大好きなキャラに深く関わっている人に、何度も何度も裏切られている。
就職先が決まらなくて、一番死にたい時に救ってくれた人も。その後なんとか就職したもののすぐに辞めてしまい、無職になっていた時期に支えてくれた人も。
その二人以外も好きなキャラの演者やその所属事務所のネガティブなニュースが、短い期間に何度も続いた。
それと…(さすがに他作品関係者の不祥事と一緒に並べるのは失礼な気もするが…)コミカライズ版ツイステの円満雄剣くんが何の告知もなく突然降板して、新主人公に取って代わられてしまったのとも、完全に時期が重なってしまった…。
コミカライズ版ツイステの話題を追っている人なら察したかもしれないが、一章4巻の感想を最後に更新が止まっていたのは、三章連載開始にあたって一章と同じ作者が再び担当することのみ告知されて期待もしていたのに、結局雄剣の再登場はなく、今後も章ごとに新しい監督生が登場し雄剣とは再会できない可能性が高くなったことに心が堪えられなくなったからである…。
「好きな作品をたくさん持っていれば、そのうちどれかにネガティブなことが起きても他の作品で乗り切れる」なんて真っ赤な嘘だ。騙されるな。
実際には好きな作品が多ければ多いほど、ネガティブなニュースに受ける心の当たり判定が大きくなっていくだけだ。
好きになっていなければ、「へえ、私はよく知らないけどあの人そんな悪いことしたんだ」程度で済んだかもしれないのに。
その人達に、私のこと見てほしかったわけじゃない。ただ、「こんなことをしたら、自分を応援しているファンが傷つくだろうな」と思ってほしかったのだけれど、どうやら私にはその価値が無かったようだ。
やりたくもない仕事をしているのも、未来のためもあるが、推し活に使うお金のためにがんばっている部分が大きかった。今となっては、何が悲しくて毎朝早く起きてわざわざ仕事なんかしに行かなきゃいけないんだろうと考えてしまう。
少なくとも、過去の合わなかった職場の仕事に必死についていこうとしていた頃や、コロナに怯えながら電車で出勤していた頃の私は、こんな現在のために働いていなかったと思うのだが…。
つい先週は大好きなアニメの新シリーズが決まって、なんとか良いことに出会えたと喜んでいたはずだったのになあ。
あの時の嬉しい気持ちが、そしてそのアニメに限らず大好きな作品を最終話まで見届けるまでは生きたい気持ちが、全部なくなってしまったわけではない。
それでも、もう「生きる望み」というものが煩わしいと感じてしまう。どんな希望も未来には反転するかもしれないのだから。
こんな思いしてまで生きることが良いとか、今の私には全然思えない。
昨日まではまだ未来を信じたくて生きてきたけど、 出てほしくなかった答えが出てしまって、こう思った。
生きた分だけ、不幸になるだけだ。大好きになって応援した分だけ、裏切られるんだ。
こうなる前に、好きなものなんて見つけずにとっとと死んでいればよかったと今は後悔してる。