わくわく公式派生作オタク

「原作では見られないオリジナルストーリー!」にわくわくが止まらない異端のオタク

水島版(旧アニメ)ハガレンくん、序盤から飛ばし過ぎでは?(好き)

メリッサ

メリッサ

 

 実写映画の完結編が公開されたことで、私の中でハガレン再履修の熱がバーンと盛り上がりまして、原作だけじゃなく水島版(旧アニメ)もその対象になっている。

 

 で、改めて見直して思ったんだけどさ……。

 水島版は後半から本格的なオリジナル展開に入り、ホムンクルスの正体は…だったり、あのキャラがあんなことに…なったり、原作より暗く重い展開になるのですが。

 今考えてみると序盤からもう飛ばし過ぎじゃない??というのが今回の話。

 

 ……なんですが私も私でこの記事を書いてて飛ばし過ぎました。

このジャケほんとすこ

 

 水島版序盤には大きな特徴があり、最初の1話と2話は原作同様リオールのエピソードに使っていて、3話〜9話は「過去編」であること。

 兄弟が人体錬成をしてから体を取り戻すため旅立ち、国家錬金術師の資格を取り、様々な出来事を経て錬金術師としてのポリシーを確立するまでを回想する構成となっている。

 

 で、この過去編、構成がすごく容赦無い。

 慎ましくも幸せに暮らしていた幼い兄弟が母を失い、人体錬成の重い代償を背負う3話「おかあさん…」が辛く切ないのは書くまでもないだろう。

 

 その次にくる4話「愛の錬成」が、よりによって井上脚本HARDモードなのだ。

 特撮ファンにはお馴染み、現在『暴太郎戦隊ドンブラザーズ』で活躍中の井上敏樹さん。水島版での担当回は全五十一話中わずか四話分だが、2クール目後半の総決算である24話(純粋に名作)を除いた三話はどれも異質な存在感を放っている。

 全て完全オリジナル回で、一つはエッチな怪盗おねいさんのギャグ回なのだが、残り二つは重苦しくやりきれない結末を迎える。

 

 その片方が3話の次に配置されてるおかげで、エドは死んだ母親を蘇らせようとして自分と弟の体を失った後、悪人からの正当防衛かつ意図せずに…という形とはいえ命を奪ってしまう。鬼かな?

サムネからは想像もできないでしょうが、そういう回です

 

 とはいえ、4話はエドとアルのおかげでクローゼ(ゲストの男装少女。ちなみに演じたのは矢島晶子さん。豪華)の命が助かり、心も解放されたのが示される終わり方なので、まだ救いがある。

 そう、こっちの方はまだ、ね……。

 

 

 対して、5話「疾走!機械鎧」は悪党をぶっ飛ばす痛快アクション路線で安心。

 エドをサポートする役回りとして、人気キャラのヒューズさんを早期に登場させるファンサービスも上手い(実写映画前編の冒頭にこのオマージュが入っててめちゃアガった)。

 原作の「なんだ、安物使ってんな」の一言であっさりバルドの機械鎧を切断するエドもクールでかっこいいけど、11歳の頃のエドが「オレのこの右腕は、お前なんかとは背負ってるもんが違う!!」と叫んで粉砕するのも熱くて好き。

 

 

 6話は国家錬金術師試験の話で、エドとアルは錬金術師の家に下宿して勉強するのだが、なんとそれがタッカーの家。

 兄弟は勉強の合間にニーナと一緒に遊んだり、ヒューズ家でエドの誕生会を開いたり、グレイシアさんがエリシアちゃんを出産するのに立ち会ったりして、ラストはニーナに応援されて最終試験に挑んだエドが合格するハッピーエンド。この回では。

 まさか…まさかこれ…原作未読だと次の話であんなことになるとは思えんでしょ……。

 

 

 7話「合成獣の哭く夜」は、もう…未だにこのサブタイトル忘れられないもんな…。

 元々原作でも辛いエピソードなんですが、その再現だけで終わってくれないんです。

 

 正体を知らなかったからしょうがないんだけど、エドとアルも「(国家錬金術師の査定に出すのは)やっぱり人語を話す合成獣ですか?」「完成したら見せてくださいね!」と煽ってしまうのがえぐい。

 

 でもその後、エドは妻の失踪と合成獣に関わりがあることに気づき始める。

 そして、合成獣に「エドおにいちゃ…」と呼ばれて初めて気づいた原作に対し、水島版では一目見て理解してしまう。それがニーナとアレキサンダーだったものだと…。

 何かが違っていたら間に合ったのかもしれない…そう思わせるところがめちゃくちゃにしんどい。

 

 ただ自分の名前を呼び続ける合成獣への「もう、いいよ…」が追加されてて辛い。

 非道な行いに激昂したエドがタッカーを殴り続けるのを止めたのが、当のニーナとアレキサンダー合成獣なのもまた辛い。

 

 さらに、それまでのタッカーは、前述の通り兄弟に自宅を提供した上に、倒れたエドを介抱し優しい言葉もかけてくれて、まるで善い大人のように思える。それが余計に怖いんです。

 

 最後に、兄弟は「惨い」という言葉すら生ぬるく感じられるニーナとアレキサンダーの末路を目にして、戻らない日々を描いた特殊EDで締め。

 鬱展開をもっと鬱展開にするプロかよ…。

(そんなプロによるアニメ化を見て公式派生作オタクになった私…)

サムネは図書館に入れてもらえないスカー

 

 

 その後を描く8話「賢者の石」はオリジナルストーリーで、サブタイ通り兄弟が賢者の石を探し始めたきっかけが描かれている。

 ニーナ殺害の犯人を追う中、エドは連続殺人事件を起こしている時期のバリー・ザ・チョッパーに合格祝いで来たウィンリィをさらわれ、自身も襲われる。

 

 「ニーナを救えなかった」とやりきれない気分のまま、命の危機に陥る流れ自体は、原作のスカーとの初接触と通じるものがあるかもしれない。機械鎧の腕も、こちらでは破壊されはしなかったが一時外されてしまった。

 だが、水島版の場合は「命を脅かしてくる相手が快楽殺人鬼」で、「アル達が駆けつけるまでエド独りで、ウィンリィの命も背負いつつ抗わなければならない」わけで、「この時まだ12歳」なのだ。

 

 と殺された豚がたくさん吊り下げられた冷蔵室が舞台なのも超怖いし、その間を逃げ惑うエド朴璐美さんの演技も素晴らしくなおかつ恐怖に怯える表情の描き方がものすごく真に迫るものになっていて、大変なことになっているシーンなのですが小学生でこれを浴びた自分も二十年近く経った今でも尾を引くほど性癖が大変なことになった。これほんとに夕方に放送したんか

 

 バリーに刃を振り下ろそうとした時、不意に後ろから現れたアルの腕に止められ、アルだと気づかず刃を向けてしまうエド

「それじゃ死なないよ、僕は」

 この台詞をアル自身がエドに言うのが、とても残酷だ。

 元の体を取り戻そうとしている二人だけど、この時アルが鎧の体でなかったらどうなっていただろうか…。

 で、直後のエドは「殺されると思った…怖かったんだ…」ととつとつ話すしかできない状態(ここのアルを見て安心で力が抜けたけど恐怖が残ってる泣き顔と声の出し方もすごいんですね)。

 

 

 公式書籍によると、全体のストーリーエディター及び8話脚本担当の會川昇さんには、「早いうちにエドの鼻っ柱をへし折って、そこから成長していくのを描きたかった」意図があったそうで、ファンとして「なるほどな~」って気持ちもある一方でやりすぎだよありがとうございました

ワイの教科書

 

 けどさ…「原作に『魂を鎧に定着された元連続殺人犯のバリー』ってキャラが出てるから、こいつが生身の頃にエドを襲って捕まったことにしない?それでニーナの事件に引き続いて、自分の無力さを思い知ったエドとアルが、賢者の石を求める流れにしようよ!」って発想が出てくんのマジですごすぎません??

 こんな二次創作(褒めてる)が書けるオタクになりてえ〜〜〜〜!!

 

 思えば「バリーをぶっ倒してウィンリィを救出し、ニーナの事はどうにもできなかったが今回は犠牲を出さずに解決できた。やったね!」とかスッキリできる方向に行ってもおかしくないイベントを用意しながら、(確かにエドウィンリィも助かってはいるけど)むしろ逆を行くのが衝撃的で、水島版のテイストみたいなものはこの時点で凝縮されてるよね。

 

 アルはこのアニメオリジナルの出来事を通して「この体だと兄さんの殺される恐怖を共有できないのは寂しいし辛い」と語り、そこから「やっぱり僕は人間に戻りたい、それが世の流れに逆らうどうにもならないことだとしても」と原作の台詞に繋がっていく。

 

「本当のオレ達は悪魔でもましてや神でもない、人間なんだよ!ニーナ一人助けられないちっぽけな人間だ…!」

 これは原作にあるエドの台詞とほぼ同じなんですけど見比べるとすごく面白くて、憤りと悲しみに駆られつつ堪えようともしてるような原作と(FAも比べたいけど残念ながら手元にない)、一気に感情と涙が噴き出して顔を覆う水島版、12歳で国家資格取った直後の場合受け止め方はこうなるのかと。

 

 この時、少し離れたところでウィンリィが、二人を見て何も言わずに泣いてるのがまた悲しいんですよね。

 昔は、兄弟が辛そうだけど何も言葉をかけてあげられないからかなと思ってたけど、今はそれだけじゃなくて、兄弟が自分の知らなかった過酷な世界に入ってしまったと肌で感じたからなのかな…とも。

 セントラルに着いた直後の「エドもアルも、私がお祝いに来てびっくりするだろうな~!」ってワクワクしてた顔との落差がせっっつねえ……

 

 ウッ…アル達が来てくれてよかった(´;ω;`)

 でも やっぱりな…私の『栄養』なんだよなァ〜〜追いつめられるエドはよォ〜〜〜〜

夏バテに効くぜ~~~~!!(マジでごめん)

 

 

 過去編の最後を飾る9話「軍の狗の銀時計」は、5話同様原作ベースで勧善懲悪なので安心して見られる話。これまで容赦なし構成と書いてきたが、間に明るめの話は配置してくれてるね。

 

 宿屋から追い出される前後の兄弟の会話を原作と比べると、細かいながらに両メディアで描かれるキャラクター性の違いがわかってくる。

 「こうなったら金を錬成するしか…バレなきゃいいんだよフフフ」「裏切り者!→弟よ!!」「ゲンキンだな、もー」がカットされ、アルが自分から「僕は国家なんとかじゃありません!」と宿屋に戻してもらう代わりに、エドが「こいつとは偶然汽車で乗り合わせただけだ!」とアルをかばう、など。

 自分くらいになると(は?)「原作の兄弟は確かにこういうこと言わないかもしれないけど、水島版だからまあ言うよね「水島版の兄弟はそういうこと言う」って感覚になってくるからな……。

 

 ともかく、重い話の多かった過去編も、人々を救い「民衆に味方してくれる国家錬金術師」と認められたエドの笑顔で締められたのだった。

 

 一方、この回単体は明るく終わるが(似たようなことさっきも書いた気がする…)その後の展開を知っていると悲しくなってくる要素がある。

 民衆を苦しめるヨキを信じ仕える錬金術師の少女で、エドと戦うオリジナルキャラクター・ライラだ。メイド服可愛い

 敗北し、後に考えを改めて再登場する彼女なのだが……。

 

 なぜライラがそこまでヨキを盲信していたのか、アニメの中では語られないものの、脚本集の注釈によると水島精二監督曰く「幼少期からヨキが面倒を見ていて、軍を信じることでアイデンティティを守ろうとしている子」という背景があったようである。

ワイの教科書その2

 

 それを踏まえると、ヨキに褒められた時の無邪気な笑顔や、「私も国家に尽くす錬金術師になりたい」と語った時の穏やかな顔こそが彼女の素で、坑夫達への冷酷で高圧的な態度もヨキへの恩を返したかったからかもしれない、と思えてくる。

 

 兄弟の師匠の師匠・ダンテの弟子(ややこしいね)として再登場した時はキャラが変わっていたが、実はこれ「ダンテにコントロールされてこうなっている」とのこと(これも公式書籍より。萌え萌えメイドキャラがダンテの好みだったのだろうか)。

 エドに目を覚まされてなお、付く相手の影響に染まりやすい純粋な性質が彼女の運命を決めたのかと思うと、実にやりきれない気持ちだ。

 もっとも、3クール目以降も見直してから改めて彼女の話はしたいのだがいやそもそもなんで兄弟の話からライラの話になってんだよ長いし

 

消せない罪

消せない罪

 

 今回の締めの言葉のコーナー。

 やっぱり自分の原点は「ここ」にあるな…!実家のような安心感を覚える。ほぼ重い話の感想しか書いてない気がするがな!!

 しょうがないんだよ!!私の実家は原作よりも陰鬱なこのアニメなんだからよぉ!!

 

 「わくわく公式派生作オタク」は、そんなアニオリを浴びたまま大きくなったオタクの妄言と怪文書でできています。これからもよろしくお願いしまーす。