わくわく公式派生作オタク

「原作では見られないオリジナルストーリー!」にわくわくが止まらない異端のオタク

【アニメ銀匙】その問いに答えはない。それでも自分にできることを

 7月から9月まで原作の原画展が開催されるのに合わせて、北海道テレビ放送で『銀の匙 Silver Spoon』のアニメ第一期が再放送されていた。

 

 まあ正直二期も流してほしかったのだが、本来なら他局の作品を流してくださっただけでもありがたく思うべきなのだろう(銀匙はフジテレビのアニメだが、北海道テレビ放送テレビ朝日の系列局)。

 

 アニメ版銀匙といえば、本放送を見ていた頃から印象に残っているアニメオリジナルシーンがある。

 それは、原作でも序盤の大きなエピソードである「豚丼」をめぐるものだ。

 

 

 主人公・八軒が実習で出会った仔豚を「豚丼」と名付けて可愛がるが、数ヶ月後に食肉として出荷される運命だった…というこの話。

 

 原作だと夏休みが終われば豚丼もすっかり肥えていたが、アニメでは成長後もきょうだいにエサを譲ってしまう癖がついていて、一匹だけ体が小さい。

 このままでは、豚丼は肉が最低ランクとなり、ろくに値がつかないと富士先生。

 

 元々競争に取り残され苦しんでいた頃の自分と重ねていた豚丼を、放っておけなかったのだろう。

 八軒は豚丼を太らせる方法を模索し、おかげで「これなら、中ランクで出荷できる」と太鼓判をもらえた。

 しかし、いざ「出荷」と聞くと、思わず表情を曇らせてしまう。

 

 この八軒の行動と心情、矛盾しているようにも映るかもしれない。

 だが、豚丼のために何かをしたかった気持ち、豚丼と別れたくない気持ち、どちらも真実なのではないか、と私は思う。

 

 

 八軒が豚丼と過ごす最後の朝。これもアニメオリジナルシーンだ。

 

 豚丼を抱き上げようとするも重くてできなかった時、出会った頃を思い出す。たった数ヶ月前は、簡単に抱っこできたのに。

 小さかった豚丼が、こんなに大きくなって……だけど、別れはすぐそこだ。

 

「短いよな…お前達の命」

 八軒のこぼした言葉は重く、辛い。

 

 そして、豚丼との別れ。原作通り、八軒がのばした手に応えることなく、屠畜場へ向かうトラックの荷台に乗ってしまう豚丼

 決して「感動のお別れ」にはならないのがシビアで、かえって切ない。

 

 それでも、やっぱり肉を食べて美味いと言わずにはいられない。我々も美味そうと思わずにはいられない。

 

 なお、この後八軒は購入した豚丼の肉を自力でベーコンに加工する。これも原作通りではあるが、アニオリを踏まえると「自分で育てた肉を自分でベーコンにした」ことになる。

 そう考えば、兄からかけられた言葉「お前の本気を(両親に)見せてやれ」の「お前の本気」には、アニオリでの努力も含まれているのだ。

 

 

 中には、「面倒を見ていた生き物を食べるなんて、自分ならできん!」と抵抗を抱く人もいるだろう。

 それもアリだと思う。作り手もキャラクターも、あくまで回答例Aというか、無数にある選択肢の一つを例示しているに過ぎないと私は受け止めているので。見る者の考えや行動を縛るものではないはずだ。

 

 私も自分が世話をしていた豚だったら、食べれないかもしれない。可愛がっていた「生き物」が「食べ物」になって帰ってきたら、頭がどうにかなるかも。

 知らない生き物の肉ならいつも食べているが(ダブスタと言えばまあそう)。

 

 荒川弘先生は作中に明確な答えを出さない。出せないし、読者それぞれに託すために、出してはいけないものでもある。

 アニメも、八軒の葛藤を増量し、さらに情緒に訴えてはくるが、やはり答えを出すことはしない。

 

 示しているものがあるとすれば、八軒が新しい仔豚達にも名前を付けるシーンで語られたように、「納得できる答えが出ないとしても、向き合い考え続けること」だろう。ここはアニメ一期のラストを飾っている。

 「いやいやそれもしんどくてイヤだよ」という考えもアリだ。私も、この落とし所は素晴らしいと思うが、それはそれとして実際に自分が肉を食べる時は「肉うめえな〜」しか考えていない。

 

 

 明確な答えがないのは、動物を食べることだけではなく、このブログで私がずっと推してきた「原作では見られない公式派生作オリジナルストーリー」にも言える。

 

 「このアニオリは本当に原作で描かれていること、原作での八軒のキャラクター描写に即しているのか」

「そもそも、原作付きアニメにオリジナルシーンや改変は必要なのか」

「原作ファンの支持を得られるのならば必要だが、そうでないものは不要ではないのか」

 そんな疑問を抱く人も少なくないだろう。

 

 これもまた、答えなどあるべきではないと思える。

 そんな話は結局「自分にとっては」という規模にしか留めておけないし、そして自分にとっての答えなんて、自分以外の誰にも見つけられたくないのだ。

 

 じゃあ私の答えは何かと言うと、多くの人に見えるところで堂々と表明していいものか・攻撃まではされずとも悪感情を抱かれずに済むのかとためらってしまうだけで、実のところとっくに見つけている。

 たとえ即していなくとも、必要性がなくとも、私は自分の好きなものが好きだし、好きになれなくても存在を許したい。

 

 残念だが少数派なのは自覚しているので、せいぜいこのブログを自分にとって居心地の良い場所にしていけるように記事を書くしか、自分にはできることがないのである。

(四六時中、ネットでどんな意見を見てもこれくらい吹っ切れたらいいのだが…)

 

 

実写映画も好きなので貼っておくわよのコーナー。

(当時は芸能人に疎かったのもあるが、いい意味で八軒役の中島健人くんがアイドルだと気づけなかった映画。

…というか荒川先生自身がアイドルオーラバリバリだった中島くんが役に入った途端目が死んだと原作のおまけ漫画で描いている。じわる)