わくわく公式派生作オタク

「原作では見られないオリジナルストーリー!」にわくわくが止まらない異端のオタク

【漫画版ツイステ一章最終4巻】円満雄剣、君は絶対愛されて生きてる子。

※今回の記事にはコミカライズの主人公交代制への強い批判が含まれています。

(ただし、悠河自体及び女性監督生を批判する意図は無いのでご安心ください)

 

 第一章・ハーツラビュル編のコミカライズの最終4巻が発売されてから、もはや七ヶ月以上が過ぎ、とうに第二章の1巻が発売されている。

 1巻からずっと感想記事を書いてきた当ブログが、なぜこの4巻だけをサボってしまう半端なことをやっていたのか。

 

 それはひとえに、4巻の前に発売された本誌の二章連載開始号を通して抱いた、それまでは純粋に楽しみ応援してきたはずのコミカライズシリーズへの失望が大きい。

 失礼を承知で書けば、主人公交代にどんな意義があるとしても、これまで雄剣の築いてきた周囲との関係や奮闘を新主人公にそっくり取られたと読めるように描き、あまつさえ事前に読者へ告知すら行わなかったのは、今振り返っても不信感を抱かれて当然ではないだろうか。

hijikidays2.hatenablog.com

当時の正直な見解はこちら

 

 その上、私は「二章以降の雄剣の活躍も見たい!」と思ったからこそ雑誌も単行本も買い支え、ブログで布教してきたのだ。

 それを全て無意味に感じてしまってからは、4巻を購入こそすれレビューを書くことで再びコミカライズと真剣に向き合うのが辛くなってしまった。

 

 では何がきっかけでこの記事を書いたかといえば、それは今月発売号から連載開始が決まった第三章の告知だ。

 一章と同じ葉月先生とコヲノ先生が担当されるためクオリティは信頼できる一方で、再び連載前に監督生=主人公を「ユウ」としか呼称せず姿も出さない学習能力の無さと、それにより「同じ先生方が担当ならまた雄剣が登場するのか?いや、そう思わせてまた新主人公で落胆させるのか?どっちなんだ!?」と頭を抱えざるを得なくさせるやり方には悪いがうんざりさせられ、もはや「Gファンタジー編集部にはそういう『縛り』でもあるのか?」と勘繰る以外に真っ当な背景を推測するのも困難になってくる。

 三章の告知をどうにかするべきだったのもそうだが、せめて二章の単行本化までの半年間で雄剣がどうなったかくらいちゃんと説明し、「決して雄剣と彼のファンをないがしろにしているわけではありませんよ」とこちらの信頼を取り返す意思を見せてほしかったところ。

 

 なにやらクソ長い愚痴に走ってばかりで申し訳ない。ともかく、三章で再び雄剣に会えるなら良いのだけど、ものすごく辛いがまた新キャラという線もバリバリに想定している。想定できてしまう、と書くべきか。

 だからこそ、私は雄剣ファンとしてコミカライズを楽しんでいた頃の気持ちを、ここに残しておかなければならないと思った。

 それを通して、円満雄剣が作り手にとってどんな存在だったとしても、私をはじめとする読者にとっては当時も今も愛している主人公であるし、三章では無理でもいつか必ず彼に会えることを諦めないと、ここで叫ばなければならない。私にできるのはそれだけだからだ。

 

 

 さて、ようやく4巻の内容に入るが、見所はやはり雄剣が剣道着と竹刀でオーバーブロットしたリドルに立ち向かい、見開きで見事面打ちを食らわせるクライマックスだろう。

 魔法が使えないのがなんだと言わんばかりである。いいぞもっとやれ(やってほしかった…)

 知っての通り、ハーツラビュル及び一章の内容はディズニーアニメ版『ふしぎの国のアリス』のオマージュなのだが、「主人公が鎧と剣で戦いに挑む」要素は、同じディズニーアリスでも『アリス・イン・ワンダーランド』からかもしれない…と思わせる。

 

 もちろんゲームキャラにもしっかり活躍が与えられており、漫画オリジナル描写がダイナミックかつスタイリッシュに盛られた戦闘シーンはまさに「これだよ!!これこそ、私が見たかったオバブロ戦だ!!」と叫びたくなるものであった。

 オバブロリドルにダッシュで突っ込んでいく一年生達。背中合わせでDUO魔法の掛け合いを披露し、共にユニーク魔法を駆使する三年生コンビ。

 さらに雄剣と協力するトレイや、分身を活用してデュースを助けるケイトと、これまでそれぞれ別の立ち位置にいたキャラ達が共闘する姿が本当に熱い。

  

 そして、もう一つの見所はリドル・トレイ・チェーニャの幼少期の回想だ。みんなかわいすぎない????

 ハリネズミさんも可愛い。これは趣味ハリネズミの世話になっちゃうね……。

 しかし、楽しい期間はすぐに終わってしまい(闇の中でティーカップが割れるシーンマジで怖い)、孤独に本に埋もれていくリドルのイメージ図は読んでいて胸が痛くなる。

 だが、同時にコミカライズは教えてくれる。最初に家を抜け出した時と変わらず、トレイの手は、今もリドルが手を伸ばせば届く場所にあったと。その表現の、なんと美しいことか。

 

 元に戻ったリドルが本心を吐露して泣くところも感激した。よくぞ!よくぞリドルの泣き顔に鼻水も描いてくれた!!

 たとえ美形キャラでも心から号泣すれば鼻水が出るものだと、私は某海賊漫画に教わったので…。

 

 ラストのお茶会の場面では、リドルの笑った顔をたくさん見ることができ、ゲームの設定資料集に添えられていた「(リドルの)笑顔はわりと無邪気」という一言に忠実に描いてくれていた。

 

 母親との問題自体が解決したわけではないが、リドルは母親から押し付けられたものとは別の生き方を見つけるきっかけを得たのではないか。あの日失われた「友達と遊ぶ楽しい時間」を取り戻し始めたのではないか。

 リドルとトレイが年相応に笑い合う姿を見ると、そんな風に感じるのだった(ここもまた、「キャラ同士が向かい合う」という、ゲームだとグルーヴィー絵以外では見られない構図を活かしている)。

 

 やはり触れておきたいなと思うのは、リドルと雄剣の和解シーン。

 「いつも騒ぎの中心にいる、許し難いね」と言いながらもリドルは穏やかで、そして「そんなキミにボクは助けられた」と続ける。

 この言葉は面打ちで正気に戻してくれたことを指していると思っていたが、もしかしたらグリムの炎と寮生達の罵倒からかばわれたことにも、素直に感謝を抱く心境の変化があったのかもしれない。

 対して、雄剣は「俺は何もしていない。諦めずに立ち上がったのは先輩自身だろう」と返した。

 思えば雄剣は初登場時からこのシーンに至るまで、相手の諦めない心と変わろうとする努力を応援する人物だった。それは、自分と対立し暴走したリドルに対しても変わらない。

 

 そんな二人が、満を持して和解の握手を果たす。そこに「コミカライズ版ツイステの第一章」がこれまで描いてきたこと、1年半に渡る連載で挑戦してきたことと一貫してきたことの全てがある。

 今でも忘れない。あれを読んだ瞬間が、私の読者としての幸福のピークだった。

 

 

「序盤のドワーフ鉱山の戦いでの雄剣・グリム・エース・デュースの『団体戦』が、最終決戦の決着に繋がる」

「第一話では漫画独自の最悪のファーストコンタクトをした雄剣とリドルが、最終話では漫画独自の最高の和解をする」…

 何度読んでも、終盤はこの全4巻で積み上げたものの最高の総決算だ。

 雄剣は戦闘だけでなく、ゲームキャラとの交流においても徹底して「剣道部の副主将」「未熟だが一生懸命な後輩を指導していた」背景をフルに活用した、コミカライズ独自の主人公であり続けた。

 

 これほど貫いてきたはずの「読者が物語開始時点から見守ってきた、主人公とその主人公が召喚された世界線の物語」を捨て、この漫画は「異世界に飛ばされた主人公がそこで出会ったキャラ達と友情を築く、原作未プレイの人にも勧めやすいファンタジー漫画」から、「二章の内容さえ美麗な作画で再現されていればいい人向けのコミカライズ」になった(普通に考えれば、作画が美麗なだけでも十分すごいのだけれど)。

 

 悠河も良いキャラクターではあるが、最新の四話目まで進んでもグリム・エース・デュースとどう仲良くなったのか、ハーツラビュルの事件で何をしたのかが一向に補完されない以上、もはや最初から雄剣と優也、そして原作ゲームの監督生のような「物語開始時点からの他のキャラとの関係性の変化により、受け手を魅了してくれる主人公」としては創られていないのだろうと受け止めるしかない。

 コミカライズでの前後の章の繋がりが無くなったことについては、「もう既にそうなってるので、そういう風に納得してください」とだけ言い渡されて、もう済んだ話にされてる感覚というか。一章が私の理想ドンピシャのメディアミックスだっただけに、突然ハシゴを外された印象が続いているというか…。

 

 もちろん、サバナクローのキャラとの関係性においては期待できるのだが、それでも「漫画でリドルとケイトから協力を申し出られたり、リドルがお茶会後も変わる努力を続けているのを聞いたりするのは、漫画でハーツラビュルと関わる姿を読者が見てきた雄剣であるべきでは?(悠河が主人公の物語は、また別の媒体で最初から詳細に…)」という気持ちが未だに大きいのが本音だ。

 

 特に、リドルとケイトの「これでも、ルールを緩くしてるつもりだけど…」「うんうん、前より優しくなったよね」に対する悠河の反応が全く描写されていないのが寂しい。もっとも、これはゲームの監督生も同様だし、決して不自然ではない。

 しかし、雄剣がコミカライズ主人公を続けていれば、セリフはなくとも微笑みながら二人のやりとりを聞いている彼が見られたのでは…。そんなコマを通して、我々読者もあの和解シーンを思い出しほっこりしていたのでは…と感じてしまう…。

 それほどまでに、「原作の主人公がやっていないことでも彼ならやる」説得力を持っていたのが円満雄剣の存在感だった。

 

 

 最後に、雄剣のファンとして三章の主人公が彼ではない可能性も想定しつつ、現在の私が考えていることを書く。

 覚えておきたいのは、たとえ主人公交代によって「これまで彼を応援してきたのは一体…?」という心境になってしまっても、あの頃毎月Gファンタジーが出るたびに「今月も良かった!雄剣くんかっこよかった!」と言い合える日々があったのと、雄剣が漫画オリジナルの要素が強い主人公でありながら多くのファンに愛されるキャラになったのは、絶対的な事実だってことだ。

 だから、今後私がコミカライズを追わなくなるとしても、一章の単行本は思い出の品としてとっておくだろうし、ブログの感想記事も削除しないだろう。それで、余計に辛くなる時があるとしても。

 そして、いつか四章以降の主人公に返り咲くか、あるいはまた別の形で出会えると願って(「信じて」とは書かない)、待ち続けようと思う。

 

 別に私は強くない。むしろメンタルめちゃくちゃ不安定でクッソ弱い人間だ。ただ、どんなに待っても報われねぇ!!と喚きながらも、諦めずに待ち続けるよりは諦めて生きることの方が辛いから諦めないだけだ。

 だから、他の雄剣ファンの方に「あなたも諦めないで!」なんて押しつける気はない。諦めない方が辛い人もいると思うから。

 だけど、本当に苦しくてどうしようもなくなった時に、「そういえばあんなこと書いてる馬鹿もいたな」とこの記事を思い出してほしい。

 それが誰かの気持ちを楽にできるのかどうか、自信があるわけじゃないが、そうなるのを願わずにはいられない。

 

 この記事を書く最後の一押しになったのは、私と同様に雄剣くんが大好きな方々の存在でした。どうもありがとうございました。

 円満雄剣くん、君は愛されて生きているんだよ。今もこれからも、ずっと。