初めてアニメオリジナルキャラクターの概念を知ったのは、『ONE PIECE』のアピスという女の子だったと思う。
動物と会話できる「ヒソヒソの実」の能力者であった。チョッパーいればこの能力いらなくね?って言うなよな!!(この頃は登場してなかった)
自分が子供の頃に好きだった「少年漫画原作のバトルアニメ」というのは、大抵原作に追いついてしまったが故のアニメオリジナルストーリーがあった。それも1話や2話でなく、割と長い話数かけて。
自分の知る限り、決して少なくない数のファンが、それにいい顔をしない。「このキャラはこんなことは言わない」「早く原作に戻って本筋を進めてくれ」とか、主に個人サイトやブログで……今になって振り返れば、なんだか懐かしい気もする(勿論、今のSNSでもよくあるだろうけども)。
しかし、視聴者の中に一片のバグみたいなのがいた。自分である。
みんなと同じことを考えもしたが、でもこの話にだって光るところもあるし、今までありそうでなかったオリジナルキャラの能力・技は面白いし、何よりまだ誰も知らないストーリー展開やキャラにはわくわくする……かくして「わくわく公式派生作オタク」がここに爆誕してしまった。
更に10〜12歳の時、一本のアニメとの出会いが、その方向性(と呼んでいいのかわからんが)を強めた。
人気漫画『鋼の錬金術師』の最初のアニメ版(水島版)である。
これまで私の観ていた原作付きアニメの多くは、あくまで原作に基づくエピソードの幕間劇として、オリジナルストーリーを展開してきた。
しかし、水島版ハガレンはオリジナルキャラの黒幕を用意し、オリジナルストーリーの中で主人公が目的を達成して完結する、当時の私にはかなり斬新な作品であった。
原作及びそれに忠実なアニメ二作目(FA)に比べると、陰鬱でハードな作風や、時に精神的なもろさを見せる主人公エドの描写には当時から賛否あった。しかし、「並行する二つの世界」という設定とともに、これらは私の「好み」だとか「性癖」だとか呼ぶべきものを、未だに形成している。
「このアニメとの出会いが全てを変えた」と言っても、絶対に大げさにはならないはずだろう。
そして中1の秋、ダメ押しと言わんばかりに遭遇したのが『DEATH NOTE』のアニメ版……もとい、『DEATH NOTE』というコンテンツと呼ぶべきなのかもしれない。
アニメ版は、全体で見るとそう原作のストーリー・設定との差異が大きいわけではない。だから、全話通して心を掴まれていたのは、第一話の月の処刑シーンをはじめ、「頭脳戦メインの作品を、ダイナミックすぎるアニメーション演出で表現する」ことだった。壮大なBGMの中、「ノートに名前を書くだけ」なのに必殺技のようにペンを振るう月の姿に、「こんなアニメ見たことねえ…」と釘付けになっていた。
ただ、大きな転換点であるLが死ぬ回、そして最終話は大きく改変された。
原作の終盤では、これまでの報いのようにはいずり回って死への恐怖を叫びながら散った月。だが、アニメではYB倉庫から独り逃れた先で、静かに最期を迎える……。
アニメに前後して公開された藤原竜也主演の実写映画版は、テレビ放送で初めて観たが、これもまた独自の結末であった。
Lが勝利し、月は父の腕の中で死ぬ。だが、後にLもまた命を落とす……という、こちらも原作と比べてやや切ない決着だ。
「原作・実写映画・アニメの全てで主人公の最期が違う」ことに、私は大きな衝撃を受けたが、これこそ『DEATH NOTE』の魅力の一つだと感じる。どれも好きな結末であるし、それぞれの物語と夜神月というキャラクターに相応しい締めではないか、と思う。
……そういうわけだから、「原作にないオリジナル要素なんていりません」とは絶対に言えないオタクになってしまったまま、今も生きている。
それを自身の口から言うのは(まあ、ネットに書き込むのは口じゃないが)、子供時代から培ってきたもの、青春の否定に他ならないからだ。
この気持ちを長い時間かけてこじらせた結果、アニメ化だけでなく実写映像化・小説化やゲーム化にも興味関心が妙に強いオタクに成長し、このブログを開設するに至る。そして、なぜか真っ先に学習漫画の話を書いたら1か月以上放置してしまった
ただ、私はどうもこの性(サガね)にまだまだ自信がなく、もっと堂々とネットで「好きだ」と書ける他の人の存在に、メチャクチャ助けられてばかりだ。
この記事ではデスノート/ハガレンの思い出を書いたけれど、後年の「平凡な大学生」となった月を窪田正孝が演じたテレビドラマ版/山田涼介主演の実写映画版を、自分は不安もありつつ純粋に楽しみにもしていたのだが、あまりにも放送・公開前から否定的な声が多く、正直心が折れて鑑賞を断念しそうになった。
これは2017年にある程度「吹っ切れる」*1まで、自分から映画やドラマを観ることがほとんどなかった原因の一つでもあるのだが、金を払って観た作品が面白くなかったことよりも、観て好きになった作品が大勢から「これは評判が悪いから何を言ってもいいヤツだ」と扱われることの方が、圧倒的につらいのは私だけだろうか?
まあ、もちろん否定的なことを書くのも自由で、問題は異常に弱すぎてこの世界に適応できてない私のメンタルにあるんですが(そんなメンタリティの奴がよくアニオリのファンなんてやってたな…とは考えないようにして頂きたい)
今のSNSで、「自分は楽しみだ」「観て良かった」と書ける勇気ある方の存在を知っていなければ、私は鑑賞を決断できなかった。観た上で「いいの~ファンとして押さえておきたかったの~(浪川声)」とすら言えなかった……いや、私の感想はどっちも「自分は原作と過去の映像化へのリスペクトを感じたし面白かったので好きです」だったんだが。
しかし、このままでいいんだろうか?どちらももう数年前の話ではあるが、実のところ自分のメンタリティはあの頃と何も変わっていない。
いい加減、私は自力で自分の心を肯定できるようになりたいのだ……これも、ブログ開設の理由の一つである。
「迷わずにこの愛を信じ生きてゆく」しか、自分にはないんだと思う。今日も。